深夜の青森駅。

 22時半過ぎの青森駅は発着列車も少なく、新潟からの特急いなほ7号、
八戸からの特急つがる25号と弘前からの普通列車だけである。
その普通列車に乗って青森駅に到着したわけだが時刻は22時39分。
乗換え時間6分で乗り継ぐのは、札幌行201列車・急行“はまなす”である。

 先頭を務めるのは津軽海峡線専用の電気機関車である。
赤いハマナスの花を描いたヘッドマークが掲げられているが、
客車との連結面には“日本海”のマークが取り付けられている。
どうやら函館を16時39分に出発する寝台特急“日本海4号”を牽引してきて
それが折り返す運用のようだ。

 青森駅構内をまたいでいるベイブリッジの明かりは消えてしまっていた。
“はまなす”の発車するホームでのみ、営業を続けるミニコンビニはありがたい。
そこへ出入りする人を見れば、全員が“はまなす”の乗客。
けっこう幅広い年齢層なのであった。ブルーの客車に赤い機関車はよく似合う。
昔ながらのいいコンビだと思う。

 その赤い機関車の視線の先、出発信号は青になっていた。
まもなく発車時刻である。

 弘前からの普通列車から乗り継いだのは、ぼく以外に数人いただけ。
それ以外はみな特急から乗り換えたか、地元の人たちであろう。
乗車率は非常に高い。
5号車・禁煙の自由席と4号車カーペットカー、1,2号車の寝台車は満席。
それ以外は半分ほど座席が埋まっている。
ゆったり眠れるところ、安く乗れるところはすべて埋まっているということになる。

 いくつもの分岐器を渡って、津軽線に進入する。
満席近いB寝台はみな早々に床に就いたようである。
青森発車前に車内改札は真っ先に行われ、発車間もないのに減光されている。
津軽海峡線を行く車窓は、すぐに街の灯も消えて真っ暗闇である。

 “はまなす”は希少な「急行」の文字を掲げるが、編成は特急なみに充実している。
3号車は普通のリクライニングシートを配した禁煙の自由席で、満席。
もう少し空いていれば座席を向かい合わせにして体を折り曲げ、
いわゆる“エビ寝”を決め込むのだろう。
7号車・喫煙の自由席ではそういった乗客も見受けられるほどに空いていた。
5,6号車の座席はグリーン車の座席の本体に
、さらに厚いバケット型のクッションを組み合わせたフルリクライニングシート。
倒すとグリーン車以上にも思える深い傾きになる。
これをもって「ドリームカー」と名付けられ捨てがたいものがある。
一画にはミニラウンジもある。

 自由席車に設置された自動販売機で清涼飲料を手に、
ドリームカーのミニラウンジでくつろいでいると、蟹田に運転停車した。
運転士交代である。その間にやってきた対向列車は、
上野行の寝台特急カシオペアだった。

 食堂車はパブタイムの営業も終了して、片付けが忙しそうだ。
蟹田を発車し、中小国を通過して新中小国信号場で津軽線と分岐すると、
揺れがなくなり、ジョイント音が聞こえなくなった。

 高規格の津軽海峡線に進入したようだ。
そしてまもなく、北斗星2号とすれちがう。食堂車の真っ赤なランプシェードは
カシオペア以上に印象的だった。

 長いトンネルが連続したので、いつのまにか青函トンネルに入っていた。
青函トンネルの前に控える本州内の陸上トンネルは、計7本。
灯火もない深夜の山中のこと、車窓は単に真っ暗であり、
強く反響する走行音ぐらいしかトンネルを数える術はない。
一番後ろで見ていて、窓の外側にうっすらと水滴が付いてきたとき、
青函トンネルであることがようやくわかったのだった。

 非常灯が時折、フッ・・・と飛び去るだけだった車窓に
蛍光灯が連続すると、そこが竜飛海底駅。
そしてしばらくすると、緑の灯が現れ、
その中に一瞬だけ青い光が混ざって緑に戻る。
これが津軽海峡の中央部である。

 以前は「ようこそ北海道へ」という文字が列車の速度に合わせて
浮かび上がったというが、そんな仕掛けは今はない。
再び白色蛍光灯が連続して吉岡海底駅を通過するのを見届けてから、
自分のスペースに戻って、函館到着の1時13分まで眠ることにする。




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