1,2号車が指定席、3号車がB寝台、
4号車が自由席という4両編成。
そんな短い編成の夜行特急とは、
需要などたかが知れているように思われるが、
道北に対しては、特急利尻は非常に有効な列車で、
何よりも移動手段として重宝されていることが、
他社の夜行列車群と比較しても特筆すべき点である。
夏の観光シーズンには最大7両に増結されることもあり、
需要の干満が激しい。
まどろみの中で目を開けると、空が青く、
白い雪原の向こうに沈みかける三日月があった。
B寝台の3号車のみ放送カット、
減光されているのでディーゼル特急でありながら
間違いなく夜汽車のムードである。


 寝台車の一画に女性専用区画があった。
向かい合わせの寝台にどんな人が来るのか
わからないことへの不安は、
女性ならば当然もつであろう。
そういった少ない声にも応えているのは、
合理主義的な現在の世の中の流れに反するものであろうが、
歓迎すべき。
4席分、1ボックスが女性には優先的に充てられるらしい。

 本州の夜行列車の特徴といえば、
「寝台車メインで座席車も連結している」という印象が強く、
北海道では逆になる。
したがって夜行特急には寝台特急を表す流れ星のマークが
時刻表上にはない。
本州では廉価な座席車が認知されていない例が多く、
北海道で夜行列車が生き残っている理由の一つともいえる。

 5時10分発の豊富は覚えていない。
寝心地は非常によかった。
開放2段式・カーテンと寝具のみという
根本的なサービス面での水準の低さは
否めないが、その低さと寝台料金を割り切ってしまえば
これほど快適な車内もない。

 起き上がって先頭の1号車に行ってみた。
眺望がよい運転室後部の客室最前列に座る。
今日は線路視察も兼ねて保線作業員が乗務していた。
ぼくが座るのを見て「シカがいるぞ」と教えてくれた。
窓の外を見るとエゾシカが5頭ぐらいいた。

 おはよう放送が入る。
「おはようございます。およそ30分で、稚内に到着いたします・・・」
所定時刻で運転中との旨が告げられて、
眠りから覚めた乗客が次々と洗面所に向かう。
車内が目を覚ますと、寝台車でも同じようにカーテンが開かれて
通路の椅子に腰掛ける乗客がいる。
しばらくするとスピードが落ちて抜海に運転停車して
回送列車を待ち合わせる。

 座席車の乗客は少なかった。
32しかないB寝台は、なんと満席だった。
需要がはっきりと分かれている。
札幌、旭川からの区間利用者と、
稚内を目指す長距離利用者である。
前者は地元の人たち、後者はビジネスではなく、
観光と稚内在住の人たちがほとんどであるようだ。

 空は雲で覆われている。
抜海の丘陵に上ると、待望の日本海が広がった。
左下に広がるのは国道とサロベツ原野、その先に利尻水道である。
列車はスピードを落とした。
利尻水道の向こうは、利尻島も礼文島も見えない。
荒々しい海岸線と、雪に覆われたサロベツ原野、
目を奪われる風景である。

 歓迎のメッセージに迎えられて抜海の丘を下ると、
かつて天北線が合流していた南稚内に午前5時54分到着。
乗客の半分ほどの20人が下車。
早朝にもかかわらず、数台のタクシーが待っていた。
人家の裏側を見ながら市街地を高架で駆け抜け、午前6時ちょうど、
利尻は終着の日本最北端の駅・稚内に静かに歩みを止めた。

 線路が途切れる車止めが見える。
最果ての駅が少しだけ賑わいを見せた。
稚内駅のホームに降り立った乗客は寝ぼけ眼をこすりながら、
これからの旅の期待に胸を膨らませて改札へ向かう。
トップシーズンならば利尻へ、礼文へ、
離島航路への観光客でフェリーターミナルへの道は
いっぱいになるのだろう。
待合室では、ノシャップ岬や宗谷岬に行く人が
思い思いに始発のバスを待っている。

 改札を出て右へ。
民宿“さいはて”の横を抜けると、最北端の線路に出る。
最果ての街。
さび付いた線路の向こうに特急“利尻”はひっそりと取り残されていた。





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