急行はまなすでたどり着いた札幌駅。
6時過ぎなので通勤客であふれかえっているということはないが、
スーツ姿の人がちらほらいる。
5番ホームに上がる。
札幌発6時42分、石狩当別行普通列車に乗る。
ドアが開くとホームで待っていた人たちが足早に乗り込む。
北海道といえど他の大都会と変わらない通勤風景が
ここでも繰り広げられている。

 まずは函館本線と並んで単線区間を進む。
桑園では以外にも乗降客が多い。
JR北海道ビルが隣接し、市立病院も近いからだろうか。
高架のまま右に大きくカーブを切って
碁盤の目に並んだ街並を斜めに横切る。
雪化粧をした手稲の山も見える。
八軒駅からあいの里教育大駅までは高架複線化されており、
都市型鉄道の様相を呈する。

 混雑を考慮して、
北海道では一般的なデッキと客室の仕切りがなくなり、
代わりに防寒対策として温風暖房機が取り付けられている。
この列車は各車両に30〜40人ほどが乗っていて
シートが埋まる程度の込み具合であった。
防寒着に身を包む人は着ぶくれするせいか、
客室内の通路は広くとられている。
なんだか座ったほうが窮屈な思いをしそうではある。

 あいの里公園を出て築堤を上ると石狩川を渡る。
札沼線は石狩川の左岸を通る函館本線に対し、
右岸を通って札幌と留萌を結ぶ路線として建設された。
札沼の「沼」は留萌本線の石狩沼田からとられているのである。

 第2次大戦中は樺太での鉄道建設のために資材が供出されて
石狩当別〜石狩沼田間が休止されることもあったが、
函館本線の代替線としての役割を担ってきた。
しかし自動車の普及により赤字路線となり、1972年に
新十津川〜石狩沼田間が廃止されて
行き止まりのローカル線となったのである。

 スウェーデンヒルズという洒落た住宅地近くにある石狩太美を
出ると駅間が広がって石狩当別へと到着。
札幌市街と比べると積雪が多いようだが、
ベッドタウンとしての変貌は著しい。
ここで新十津川行ワンマンカーに乗り換える。
到着した2番線で待つように案内されているから待っていると、
先頭の1両が切り離された。
どうやらこの1両が新十津川行になるようで
「新十津川行き、ワンマンカーです・・・」
と、ひっきりなしに自動放送が繰り返されている。
7時48分に石狩当別止まりの列車が到着すると
10人ほどが乗り換えてきて7時51分、定刻に発車した。

 雪はみるみるうちに深くなり、豪雪地帯に入ったようである。
石狩川沿いに雪の多い場所が帯状にあるらしく、
石狩当別から石狩月形あたりまでの積雪は非常に多いという。

 石狩当別以北で唯一の駅員配置駅である石狩月形を出ると、
札沼線の最深部へ向けて幻想的な雪景色の中を進む。
前方を見ると線路がほとんど雪に埋まりかけている。
利用客自体が皆無なのではないかと思っていたが、
短い区間利用者はちらほらいて、乗客がこまめに入れ替わる。
雪に強い鉄道が頼みであることを実感する。
8人にまで減ってしまったが、乗客にはなくてはならない列車なのだ。
札幌〜石狩当別とは風景も利用客もまったく異なる。
石狩当別発車時点では立客もあったがそれらのほとんどは
最初の駅・北海道医療大学で降りてしまった。
それを考えると、“学研都市線”という愛称が
次第に不似合いなものに思えてきた。

 9時29分、終点の新十津川へ到着。
片面1線の小さな終着駅には、列車を待つ人が3人。
運転士は降りる客の切符を拝見、回収した後、
慌しく折り返し列車の出発準備に取り掛かる。
雪は深い。
降りた人たちは足早に無人の改札を出て行った。

 もはやローカル線としての機能しか持たない末端部の札沼線。
5kmほど離れたところを並行する函館本線の駅へ
マイカーで移動する人が多いのだという。
たしかにその方が便利なのだろう。
ならば滝川へと延伸すれば利用者の利便性も
飛躍的に向上しそうだが、間にある北海道随一の大河・石狩川は
まだまだ川幅が広く、鉄橋を架けるのは容易ではないと想像できる。

 その滝川駅へ、歩いてみることにした。
地図上ではそう遠くない。
新十津川町は、大水害にあった奈良県十津川村の住民が、
1889年(明治22年)に集団移住してできたことはよく知られている。
暖房もない小さな駅舎に、
滝川行のバスの乗り場案内が貼られている。
以前は代行バスで石狩沼田へ行けたそうだが
いまは滝川がその発着駅に変わったらしい。
ここからはJRバスを乗り継ぐ必要がある。
簡素な駅舎の前には大きな温泉病院が建っていた。



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札沼線の旅
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