知床斜里を発車した快速<しれとこ>は南に進路をとる。

 このまま海に沿えば厳しい自然の待ち受ける知床半島だからである。
が、ここから先の釧網本線も人家は稀なので、保線区の人が乗ってきた。
線路点検の意味あいもあるのかもしれないが、エゾシカが出やすい地域でも
あるからだろう。ピョンと飛び出してきて、警笛を鳴らしても線路上を走って
逃げるのでなかなか厄介者らしい。出現してくれまいかと期待していたが、
今日はまったく出てきてくれなかった。

 左手に見えていた斜里岳がいよいよ近づいてきた。
羅臼岳の間に入るので邪魔に思えなくもないが、この山は形がよく、
頂に雪を置いて裾を長く引いた休火山である。オートバイツーリングで
はじめて見たときは、雪はなかったものの、地図を出して思わず山名を
確認してしまうほどに気になった。この山容は非常に美しい。

 こういう山が内地にあれば歌に詠まれ、名山になるのだろうが、
北海道は歴史が浅い。それゆえに入植した人たちも必死に開拓と
取り組まねばならなかったから、この山を詠んだ名歌などはないはず。
その代わり、麓の斜里平野はいまは一面の雪原だが、十勝平野のように
整然とした耕地が広がっていたのをよく覚えている。その証拠に大きな
甜菜工場があった。

 中斜里、南斜里、清里町を過ぎると斜里岳も後ろに移ってしまい、
前方に現れるのは阿寒の外輪山である。その山々も短いトンネルで抜ける。
釧網本線は阿寒国定公園区域内を通る路線だが、道東の素晴らしい景観を
避けて敷設されたのではないかと思うほどに、湖からも山からも遠い。

 山とてオホーツク海岸では見えていたが、森林公園阿寒の真価はもっと
西の方にある。列車で旅するものを嘲笑うかのように、雌雄二峰の阿寒岳が
見えている。雄阿寒岳の麓の阿寒湖に行ってみたくなるが、札弦、緑を
過ぎると立派な原生林の中に突っ込んでいく。まるでこれで我慢せよと
言わんばかりではないか。

 日本の鉄道は観光のために敷かれたわけではないが、せめて屈斜路湖の
南岸にある集落のほうへと線路を通していれば、これほどまでマイカーに
押されてしまうこともなかったのではないかと思う。融通の利かない鉄道の
泣き所ということだろうか。

 11時40分、川湯温泉に着いた。
小洒落た駅には喫茶店もあり、駅前の銭湯に入ったことがあるのでこの駅は
知っている。ここから前方には硫黄山が見える。岩肌から噴煙を上げており、
斜面には硫黄の結晶が現れる山だが、近くに行かなくてはそれも見えない。
これとて森と湖の大阿寒を代表するものではないのである。

 美留和の次の摩周まで原生林の中である。
しかし葉がすっかり落ちた木々の幹は灰白色なので、骸骨の群れが踊り
ながらこちらに向かってくるような光景が展開する。不思議な眺めだ。
気持ちのよいものではないが、どんな現代彫刻でもこの自然がローカル線の
乗客に対して見せる抽象性には及ぶまい。屈斜路湖がどうだとか、摩周湖が
美しいとか言うのはどうでもよくなった。大阿寒の自然はここにもある。

 摩周で8分停車する。
ここはかつて町名の通り弟子屈といったが、川湯温泉がかつては川湯という
名であったように、現在は観光を強く意識しているのがわかる。
おそらくそれが実情なのである。摩周湖の南側で、摩周観光なら必ず
この町を通らねばならない。東に行くと裏摩周にも行ける。その麓には
養老牛という温泉もあるし、そのさらに東には人口密度は日本一少ない土地
である。1平方キロあたり14人という別海町がそれで、根釧原野である。

 昨年オートバイで行ったが、緩い起伏の続く丘陵に白樺やナラらしい木が
茂り、ときに湿地帯を行くような土地で人家はほとんど見かけなかった。
北方領土の一つ、国後島を望む標津では鮭が折り重なって遡行した川も
あった。その日は知床にも行き、知床五湖から眺める知床連山は美しかった
のをよく覚えている。夜にパンクして四苦八苦した。

 摩周を出ると弟子屈の名を残す南弟子屈を通過して標茶へ。
<SL冬の湿原号>が到着しており、観光客がどっと乗ってきた。
いかにもよそ者という様子で、「快速列車なのに1両なの?」という
ボヤキも聞こえてきた。いままで味わってきた風情も一瞬にして消し飛ぶ。

 ここはかつて標津線が分岐していたが、それを見届ける余裕もなくなった。
SLにでも乗ろうかと思って指定席を取っていたのだが、このまま釧路まで
行ってしまおうかとも思い始める。観光列車に乗ったところで旅情など
なさそうなのは明白である。しかし、快速<しれとこ>の車内の混雑もひどい
もので、子供が騒ぐ、親が叱るの構図が見事なほどにできあがっている。
これなら全車指定席のSLのほうが、まだ釧路湿原を楽しめるのでは
あるまいか・・・。

 五十石を通過した頃にそんなことを考え始めた。
次の茅沼駅で降りるつもりでいたので、早く決めてしまわなければならない。
勇気がいる。優柔不断は損なのぐらいわかっていたが、それを補ってくれるか
のように、茅沼駅に停車した列車の前方に、タンチョウヅルが現れた。
ぼくは迷わず降りることにした。



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快速<しれとこ>
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