すぐそこにタンチョウヅルがいた。

 茅沼駅とはそういう駅らしい。
雪に覆われた湿地で餌を探している様子である。
鳴き声も美しい。しばらくホームでたたずむことにした。
朝からたたずんでばかりいるが、それはそれでいい日だと思う。

 ツルを驚かせてはいけない。
15分後に普通列車がやってきたが、それとて急ブレーキをかけて
停車した。警笛も鳴らさずに、ただ線路を横断し終えるのを待つのみ。
警笛を鳴らせないとなると、人間などよりも格が上である。
所詮足元にも及ばないことを我々は自覚しなければならないのかも
しれない。

 ツルがつがいで寄り添う姿は美しい。
一度寄り添う相手が決まれば一生その相手から離れることはない
という。人間と比べてばかりいるが、夫婦げんかなど小さい。
道東にはそんな煩悩を超越したものが多くあるらしい。

 1時間半を茅沼駅で過ごした後は、力強いドラフト音が
聞こえてきた。14時10分発の<SL冬の湿原号>釧路行である。
観光客でいっぱいな上に、ガイドも乗っていてまさに自分は場違い。
それでも乗らなくては釧路まで行けないので乗り込む。

 しばらくぶりに乗る蒸気機関車牽引の客車列車で、
鈍行の味わいはひときわ深い。はずだったが、観光列車ではぼくの
脳みその中にまで入り込んでくる家族連れの騒ぎ声がある。
そしてそういった家族のお父さんは、ここぞとばかりにビデオを回したり
カメラを構えてばかりいる。SLなら蒸気機関車の音を録音している人
さえいる。ここまでくると鉄道好きも狂っている(マニア)としか言いよう
がないのかもしれない。ここには公共交通機関のマナーなどなく、
「騒いでかまいませんよ」と言わんばかりのJRの意図が垣間見える。
ぼくは場違いだったかもしれない。

 こういう列車に乗りたがるお父さんには“こども”の人が多い。
楽しめる列車には乗りたいが、それ以外は乗るとたちまち降りたいと
言う。早く目的地に着きたいというのだ。車両の種類は問わず、
こういう面白いものに乗っていながら、その面白さを探そうとせずに
早く目的地に着いて遊びたいのである。鉄道に対する考え方が
結局子供も大人も同じ。そういう大人の中にぼくは入っていない気が
する。機関車の映像や音は好きだが、ぼく自身は微妙な立場のような
気がしてくる。いま持っているカメラでさえもあくまで景色を撮るため。
必ずしも鉄道にのみカメラを向けるのかといわれればそうでもないから
ますますわけがわからない。

 よく鉄道マニアと言われる人たちですらそんな大人がちらほらいる。
列車に乗りたがる点は自分と似ているが、ぼくは降りたいと思うときは
駅が誘ってくるときのみ。そうでなければ降りざるを得ない場合だけ。
その旅が終わってしまうから降りるのである。言ってみれば映画館で
ひたすら映画を見ていたいという人や、映画館に通い続ける人と
気持ちは同じである。

 だから車内の座席に着いてもしょうがない。
ぼくは展望デッキも嫌になったので、普通の車両の乗降デッキに
立つことにした。喧騒からも離れることができて、ここが一番落ち着く。
ガタンと発車してゴトゴト走る古典的な乗り心地を誰にも邪魔されずに
楽しめる。前の車両と自分のいる車両の揺れが一泊ずつ食い違って
いるので、左右上下にゆすっているのである。

 汽笛もやはり哀調には通じるものがある。
釧路湿原の中を走るから、人家もなくてどこを走っているのかと
遠いと地のような気がしてしまう。枯茅に埋められた湿原の風趣は
ここだけのものである。茅沼という駅名もよくわかる気がする。
釧路湿原は茶褐色が映える舞台だ。

 蛇行する釧路川を渡って塘路に着く。
そこで休憩時間があり、自分も外の空気を吸う。
細岡、釧路湿原を過ぎると遠矢からは人家が増え始めた。
湿原は抜けてしまったらしい。東釧路で根室本線に合流して
15時12分、釧路着。

 ようやく解放された。




快速<しれとこ>

最果てへの道しるべ

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