特急<まりも>は定刻に札幌駅に滑り込んだ。

 ここからは函館本線である。
6時53分発の小樽行普通列車に乗る。桑園で札沼線と分かれ、発寒や手稲、
と停まっていく。雪は積もっているが、道東を旅してきただけに感動は薄い。
こんなときは眠くなってしまいそうでいけない。

 しかし銭函から海に出る。
ここから小樽までは山が急傾斜で海に落ち、列車は低い護岸に沿って走る。
車窓近くに波しぶきが上がる。海岸線が近づき、また遠くなるということもない。
海は遠くが青く、近くは灰褐色をしている。沖合まで白波が立っていて
船影はない。増毛で見た海と同じである。
朝なので陽光も弱く、寒さと海の厳しさが伝わってくる。
小樽築港、南小樽と停車して、終点・小樽に7時39分に着いた。

 町は寂れても駅は小さくならない。
貿易会社の支社などが小樽を見捨てて札幌に移っても、小樽駅の建物は
立派なままである。広いコンコースに天井は吹き抜け造りで高い。
建物ばかりでなく、ホームの鉄骨屋根の堂々たる張り出し具合も見応え十分。
一級駅の風格を備えている。

 小樽は坂の町と言われている。
海に面した町にはそんな町が多い。長崎や尾道、函館などもそうである。
特に長崎と函館がそうであるように、小樽も斜面には昔の西洋館を偲ばせる
古い建物や新しいカラー屋根が新旧思い思いに建て込んでいる。

 札幌から道南方面に向かう列車はほとんどが室蘭本線経由である。
これは小樽の没落とも関係がある。北日本の交易の中心であった頃の小樽は
それこそ活況を呈した港町であった。行政都市札幌に並ぶ商業都市が
小樽であった。戦後になってすべての中心が札幌に移ってしまい、
寂れてしまったのである。

 町の西はずれには鉄道記念館の旧手宮機関庫がある。
明治13年に建てられた現存する最古の機関庫で、レンガ造りの美しい
建物である。その中には100年の歳月を耐えて開拓用の機関車が
保存されているのである。

 北海道に鉄道が最初に敷かれたのは札幌〜手宮間であり、明治13年のこと。
日本で最初に開通した、新橋〜横浜間に遅れることわずか8年である。
これほど早い時期に北海道に鉄道が敷かれたのは、北海道開拓にかける
明治政府の熱意の表れであったかもしれない。幌内炭鉱の石炭を手宮から
積み出すのが主な目的であった。こういった港町は東海道本線の途切れる
神戸と同じく、鉄道の目的地となる土地なのだ。
北海道は石炭と開拓が切っても切れぬ間柄なのである。

 小樽を発車するとそういった景観のあとに家並みが去って、
断崖と入江の見え隠れする台上をしばらく行く。塩谷、蘭島と停車して
右窓遠くに積丹半島の崖が見え始めると、リンゴとウィスキーの町・余市に着く。
3月なので収穫期などとうの昔に終わっており、丸裸の木々が一面に広がる。
そのあとのブドウ畑も同じで、棚と蔓だけであった。





日本最東端の駅

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