仁木、然別を過ぎると積丹半島の基部を横切るので勾配にかかる。
峠の手前の銀山に停まるとトンネルを抜けて小沢へ。そしてまた急な勾配に
かかり、ニセコアンヌプリに連なる山稜をトンネルで抜ける。ここが倶知安峠で
蝦夷富士の羊蹄山がすぐ近くに眺められる。富士と名の付くとおり美しい山だ。

 9時19分、倶知安に着く。
9分停車するので、ホームに出てみると、水質がいいのか「日本一の水」と
書かれた湧水が引かれていた。“クッチャン”とはいかにも北海道らしい。
どことなく投げやりな響きがあって愉快だが、アイヌ語で「猟師の小屋のある沢」
という意味らしい。アイヌ語源の駅名標を眺めるのも北海道を旅する楽しみの
ひとつである。

 倶知安からはかつて胆振線が分岐していた。
小沢からも日本海岸の港町・岩内まで岩内線が分岐していたが、胆振線は
火山と因縁が深い路線だった羊蹄山の裾を回り、洞爺湖と有珠山の東側を
通って室蘭本線の伊達紋別まで延びていた。有珠山の噴火による降灰や
泥流で線路が埋まり、戦争末期には線路の下から昭和新山が盛り上がって
くるなど、火山活動の被害をよく受けた路線であった。終点の伊達紋別は
伊達の支藩・亘理の藩主伊達邦成が開拓したところで、道南第一の穀倉地帯
となっている。その旧胆振線ホームにはコスモスのプランターが並んでいた。

 倶知安を出ると蝦夷富士が存分に眺められる。
8分で比羅夫に着く。ここは知る人ぞ知る有名な駅。駅そのものは単線1面の
小さなものだが、駅舎が駅の宿「ひらふ」なのである。ここに一度泊まってみたい
と思うが、冬は決断しかねるものがなくもない。

 ここからは防雪林に囲まれる。
視界が閉ざされがちなのだが、ときおり現れる尻別川はひっそりと流れている
ようで趣深い。その谷の向こうに羊蹄山が見えたりすると、思わず声を上げて
しまいそうだ。

 リゾート地のニセコに着いたからといって乗客が減る様子もなく、
そのままうねうねと急カーブが続く。昆布、蘭越に停まる。蘭越はひとかどの駅
らしく、広めの構内が幹線であった名残を伝えている。

 次の目名は5年前の有珠山噴火の際に室蘭本線が不通となり、
函館本線が代替ルートとして整備されたために行き違い設備が追加された。
しかし、所期の目的を果たせぬまま室蘭本線は運転再開となった。
増設された線路に輝きはなかったが、信号は生きていた。

 しばらく進むとカマボコ形のドームがある。
廃止となった上目名駅跡である。札幌本社と函館支社との境界でもあったため
保線用車が折り返すために雪から避ける目的で設けられた。現在は使われて
おらず、朽ちゆく上目名駅ホームを静かに守るために機能しているようだ。

 内地ならよほど山奥に入らなければ人煙が途絶えることはない。
駅周辺の街や集落が田畑に変化しても、それとて人の営みである。しかし
北海道は違う。駅周辺の集落はまるで箱庭のように小ぢんまりとしている。
そこに集落があるのか疑わしき駅も多い。駅を離れれば家も何も消えるのだ。

 鬱蒼とした森に閉ざされながら谷は底に沈んだままで、カーブが連続する。
峠を越えたらしく、熱郛を過ぎて黒松内に着く。ここからは日本海岸の寿都へ
バスが出ている。寿都はニシン漁でにぎわった港町である。

 黒松内を出ると最後の峠を越えて蕨岱へ。
貨車を待合室とした駅なのはわかるが、どこまでが駅なのかはわからない。
最後の駅・二股も同じで、黒松内から3駅・20kmという長い駅間距離を
走りぬいて、11時13分、終点・長万部に着いた。





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