北海道を去るからといって、駄々をこねながらというのも情けない。

 名残惜しいが、せめて自分の好きな列車で去りたいと思う。
16時39分発の寝台特急<日本海4号>大阪行に乗る。はるか1200kmの
彼方まで18時間以上をかけて南下するブルートレインである。

 函館駅で駅弁を買って改札を抜けると、
長距離の旅行客とみえて<日本海>の乗客と思っていたら、その先の
<白鳥>や<スーパー北斗>の乗客だったらしい。札幌方面はもちろん、
八戸経由で東京方面へ、そしてぼくのように北陸・大阪方面へと向かう
人たちがここにいるのだから、函館は交通の結節点なのである。

 なんと4両編成であった。
電源車、機関車も入れて6両では長距離列車にふさわしくないわびしい姿。
発車時刻が迫ると、向かいの寝台におじいさんが乗ってきた。
ホームに目をやると、孫と娘夫婦と思しき人が見送っている。
老若男女を問わず、こういった見送りの光景は長距離列車の、鉄道のもつ
風景である。その笑顔を乗せて、これから旅立つのである。

 16時39分、定刻に発車する。
「みなさま、本日もJRをご利用いただきましてありがとうございます。
青森、秋田、富山、金沢を通ります、寝台特急<日本海4号>大阪行です。」
発車早々に案内放送が流れれば、あとは何をしてもいい。
このゆとりは乗換え要らずの直通列車に特有のものである。

 五稜郭で函館本線と分かれると、しばらく市街地が続く。
左側に海が近づいてくると、対岸に函館山を望む。青函連絡船が廃止されても
北海道の玄関を司るのは函館山なのである。その山が見送ってくれる。
函館の市街地が後方に遠ざかりながら穏やかな海岸線が見え隠れする。

 途中の上磯と茂辺地で運転停車した。
上磯では函館行普通列車と、茂辺地では<白鳥15号>とすれ違うだけでなく
<白鳥34号>にも追い抜かれた。スピードではかなわない客車列車なので
やむを得まい。こうした光景も珍しくなくなった。

 17時38分、“最初の”停車駅・木古内に着く。
ここから江差線と分かれて津軽海峡線に入る。新幹線も走れるような立派な
高架橋の上を駆けて知内駅を通過すると、17時50分に青函トンネルに
入った。あとは轟音を聞きながら本州へ抜けるのを待つのみである。

 少しだけ眠ってしまい、起きたら青森到着の放送が流れていた。
右から近づいてきた奥羽本線に合流して分岐器をいくつも渡り、19時25分
青森駅1番線に到着した。

 津軽海峡を挟んで函館と向かい合う青森は、本州側の要衝である。
青函連絡船が廃止されてからすでに15年以上が経つが、鉄道としては
本州と北海道をつなぐ重要拠点である。<日本海4号>は22分停車し、
機関車の交替と客車の増結が行なわれる。乗務員もここで交替し、
JR西日本の車掌が乗り込んできた。

 ここまで牽引してきた青函トンネル用のED79型が増結する4両を
引っ張ってきて、それまで最後尾だった電源車側に大阪まで牽引する
EF81形が連結された。これまでの5両はこうしてサンドイッチにされ、
いつのまにか9両のブルートレインができあがっていた。

 青森からの乗客も後ろ4両に乗り込み、そこでもまた、
鉄道独特の別れのシーンが見られた。窓を挟んで何も言えずにお互いを
見る2人である。こういった鉄道風景には老人も若者も関係ないのだろう。
やはり長距離夜行列車はいい。

 ぼくはというと、車内で駅弁を食べながら発車を待った。
函館駅の駅弁“北の駅弁屋さん”である。「どれか気に入ったものを、
次回お越しの際にまたお食べください」と一言添えてある。どれもうまい。
そんなことを言われてもと言いたくなる。

 青森を定時の19時47分に発車した<日本海4号>は、
灯りの少ない単線区間を走る。大釈迦峠を越えて川部から複線になり、
弘前に到着。ここでも大勢の乗客が待ち受けており、下段はすべて埋まる
くらいになった。にぎやかに宴会をしているところもある。

 大鰐温泉、碇ヶ関を過ぎると青森・秋田県境の矢立峠を越えて大館へ。
乗客がまた増えた。新幹線が走っていない日本海縦貫線を走破する
寝台特急ゆえに、需要は旺盛らしい。それでも、いまぼくが寝転んでいる
いわゆる「開放式2段寝台」は時代遅れとされている。現に東海道では
淘汰されつつあり、この春も寝台特急の統廃合と縮小があった。
いつまでこの寝台で旅をできるだろうかと思う。

 コトリとも音がしない静寂の空間こそ、夜汽車だとぼくは思う。


 秋田に停まったらしき気配は覚えているが、そのまま眠りに落ちた。





大沼国定公園

汽車旅はるか・・・

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ブルートレイン・日本海4号 @
老若男女の笑顔を乗せて
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