8月12日

 名古屋17時発の新快速に乗る。
中央本線は集中豪雨により抑止がかかっていたようでかなり遅れていた。
出鼻が遅れた電車とは先行きが不安になる。
しかし、東海道本線は定時運行だった。
 何事もなかったかのように関ヶ原を越え、
米原で京阪神地区の新快速に乗り換えて大阪駅に到着した。

 より速く、より便利に、より快適に。
これは人間の本能である。
追究しなくなれば、おそらく人間は生きる意欲を失うだろう。
新幹線や飛行機が当たり前の乗り物として定着したことが、それを物語る。
そして、交通機関同士の競争は両者が熾烈を極めるところがほとんどである。
飛行機対新幹線、特急対高速バス。
人々は時間とお金を追い求めるようになった。
その傾向が強まれば強まるほどに、鉄道は“移動手段”としてしか
意味を成さなくなり、旅の魅力は薄れてしまう。
せっかく土地土地を縫う“鉄道”という乗り物がありながら、
その魅力に気付かないでいる。嘆かわしいことだ。
日本の広さをこんなに実感できる移動手段は他にないというのに。

 せめて鉄道を愛する我々だけでも、鉄道の魅力に触れていたいと思う。
スタート地点・最北端の稚内を目指すわけであるが、長距離夜行列車に乗ろう。
大阪駅10番線に向かう。

 これから乗るのは青森行の臨時寝台急行<あおもり>である。
お盆の帰省ラッシュ時にのみ運転される臨時列車であるがゆえに選んだ。
この列車によって、前半の旅の日程が決まった。
優柔不断な自分の性格を補ってくれる列車ということになる。
ありがたい。
大阪を最終の富山行き特急<サンダーバード>と同じ時間に出て、
翌日昼に青森に到着する。
おなじく青森を目指す寝台特急<日本海3号>の救済臨時便ということになる。
乗車前にマルスを叩いてもらったら、満席だった。

 お盆なら当然であるが、ピーク時に売れ残っていても
寂しいだけなのでひとまず胸をなでおろす。
隣の11番ホームは北陸方面特急用ホームゆえに、
<サンダーバード>を待つ人でいっぱいだった。
どの人も里帰りらしく、土産袋をぶら下げている。
みな長距離の人だから、急行<あおもり>の乗客とは区別が付かない。
20時34分、3灯のヘッドライトを輝かせて<あおもり>が入線してきた。

 ぼくはこの車両にずっと憧れてきた。
高度経済成長という特殊な事情の中で生まれ、
昼は座席、夜は寝台として、昼夜を問わず東北、山陽・九州を駆け巡った。
新幹線の開業によって姿を消していったが、この急行<あおもり>は、
いまなお寝台の解体が行なわれ、往年の面影を色濃く残す夜行列車である。
 583系特急寝台電車。
車両限界いっぱいまで広げられた車体は存在感が大きく、どっしりとしている。
乗り込むと中央に通路、両側に寝台が3段ずつ。
いまの日本では珍しくなった3段寝台だが、どこか懐かしさが漂う。
パンタグラフのある部分は屋根が低くなっているので、その分、中段が広い。
登場時の昭和42年、新大阪〜博多間の寝台特急<月光>に投入され
その後、“月光型電車”と呼ばれるようになった。

 下段は窓もある申し分ない広さ。
上・中段は狭く、のぞき窓があってもカプセルホテル並みだ。
その中段に入る。横になると眼前に網棚があって圧迫感がある。
着替えるのには不便だ。
車両の端にある更衣室まで行かなくてはならない。
荷物スペースもあるし、寝台を解体したときのために梯子様子ペースもある。
からくりの多い車両だなと思う。
寝台座席両用なんて車両をよく作ったものだと、当時の国鉄に感心する。

 入線からわずか3分であわただしく発車した。
まだ車内も落ち着いていないのに新大阪に着くと、乗車率は40%ほどになった。
これから先で乗ってくるのだろう。
寝台専用である旨がくりかえし放送されている。
新大阪を発車すると一気に加速し、複々線上で普通電車を追い抜く。
郷愁の漂う客車列車とは違い、鋭い加速だ。

 21時10分、向日町駅に運転停車する。
運転停車とは時間調整や乗務員交代が目的でドアの開かない停車のこと。
臨時列車ゆえに定期列車の邪魔をしないようにしてある。
特急列車はもちろん、新快速、快速、普通列車にまで追い抜かれる。
スピードを出していたわりにはやけにのんびりとしている。
長時間停めるのであれば、売店のある駅でと思う。
が、そんな駅は人が集まる駅ゆえに列車も集まる。
したがってホームにも余裕はないのである。
やむをえないのはわかるが、せめて発車時刻を繰り下げてもらえまいか。

 サラリーマンの減った京都駅に到着。
少しずつ寝台が埋まってきたので、リネンを広げて自分の寝台を完成させる。
京都を発車して山科を通過すると湖西線に入って、特急列車に道を譲る。
もう10本以上に追い抜かれたであろうか。
臨時急行は肩身が狭い。

 暗闇の中に比叡の山々を見ながらトンネルを抜けると
電気が消えて交流電化区間に入り、北陸本線に入る。
空調と電気が元通りになるとお休み放送が流れ、停車駅と到着時刻、
5号車はサロンカーとして開放、4号車は2段式のA寝台と案内される。
さらに、自動販売機と車内販売がないことも告げられ、
酒田駅の3分停車、秋田駅の4分停車を利用して飲食を確保するように・・・。
まさにないないづくしではないか。

 外からは特急列車によって肩身の狭い思いをさせられ、内からは兵糧攻め。
慣れていない人にとっては不便極まりない列車である。
ただ、3段寝台がすべて満席ともなると、皆慣れている人なのだろう。
敦賀を出て北陸トンネルに入ったところで、ひとまず寝ることにする。


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