8月19日(金)

 朝5時半に起きてシャワーを浴びようとしたら。衝撃的な事実が発覚する。
パンツが破れていた。何ということだー!
着替えが残り3枚になってしまった。3枚とも洗わなくてはならぬ。
断腸の思いで切れ端になったパンツをゴミ箱に捨てる。
8年間履いてきたパンツと今生の別れとなった。

 6時半に釜石駅に行く。
今日は曇りなので、宮古に宿泊したとしても三陸海岸の車窓は
楽しめなかったかもしれないなと思う。夜の海も結構好きだし。
ただ、宮古湾海戦の史跡でもあれば見たかった。
東北地方は日本史に登場する頻度が低いゆえに、史跡は少ない。
宮古湾海戦は戊辰戦争、他の史跡は平泉とかになるだろう。

 函館の五稜郭も同様。
その土地で人々が歩んできた、その足跡を今に伝えるものから
何かを感じ取るのも悪くない。
そういう意味で東北地方を旅するいまは、淡々と列車に乗っている日々である。
いつ、どこで、何に出会うかは旅をしてみないとわからない。
旅を続けないと出会うことなどありえない。

 改札はまだ始まっていなかったが、列はできていたので最後尾に並ぶ。
6時45分に改札が始まったので階段を上ると、
6時55分発の快速<はまゆり2号>盛岡行はまだ来ていなかった。
どうやら宮古からの6時48分に着く普通列車がそのまま折り返すらしい。
始発列車だから、別に列車を用意するべきだが、その理由はすぐにわかった。
高校生でいっぱいなのである。
釜石からの乗客は指定席を除けば、誰も座れなかった。

 急行用の車両だからテーブルもあり、その上で勉強したり、
座席をリクライニングさせて寝ていたりする。しかし、
大事な地元の一般客が座れないのはどうかと思う。
2つ目の松倉で高校生はみんな降りてしまった。

 松倉から山間に分け入っていき、陸中大橋から急斜面を登る。
この付近は北側へと大きく線路が大きく迂回しており、仙人峠と呼ばれる。
遠野盆地から北上山地の脊梁を越えて釜石に通じる峠。
標高887m、遠野盆地から海岸部に通じる峠には、
北の界木峠(729m)・笛吹峠(862m)と仙人峠があるが、
仙人峠は最も険しく九十九曲の急坂と称されてきた。
しかし峠は古い時代から利用され、製鉄の街・釜石に通じる重要な峠だった。
  釜石線の前身・岩手軽便鉄道は、花巻と遠野市上郷(仙人峠駅)までの
路線を開通させたが峠を越すことは無理で、釜石鉱山鉄道(大橋〜鈴子間)の
大橋駅まで鉄索で荷物を送り、人は3時間かかって徒歩で峠越えをしたという。

  かつての峠の様子については「遠野物語り」にも
「登り十五里降り十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり」
「仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす」と記されている。
峠の名の由来については、昔、
麓の千人沢の金山が崩れて千人の金堀りが死亡したこととか、
山に仙人が住んでいたことによるなどと伝えられている。

 左に陸中大橋付近の線路が見えるとトンネルに入り、サミットを越えていく。
風景が林から田畑に変われば遠野盆地に下りていく。
7時41分、遠野着。新幹線に乗り継ぐと思しき人たちが大勢乗ってくる。
座席がほぼ埋まった。外には“民謡の里”と書かれた旗が並ぶ。
“銀河鉄道の夜”を書いた宮沢賢治の故郷である。
釜石線に“銀河ドリームライン”の名が付いているのもそのためだ

 車内改札があったので切符を見せる。
「ほぉほぉ。すごい切符ですね。ごくろうさまです。ありがとうございます。」
と、感心した様子だった。朝から気分がいい。
東北はいい車掌さんばかりだ。

 8時17分の土沢を出ると、新幹線の高架橋が現れて新花巻に到着。
釜石線側には駅員が配置されていないらしく、車掌が切符を回収していた。
 さらに7分で花巻に到着。
進行方向が変わること、花巻から盛岡まで停車しないことが告げられる。
ホームは人でいっぱい。すぐに満席の車内となるが、ぼくは降りる。
これで15番目の路線・釜石線は終わりである。

 一息ついて、花巻発8時44分の普通列車で北上に向かう。
2度目の東北本線。一ノ関行の普通列車は快調に走る。
側面に“義経北行伝説”のラッピングが施してある電車は、美しくない。
風情がない列車が増えたなと思う。
東北本線を南下すること10分、北上に到着する。
北上へ南下・・・南下して北上・・・変なゴロあわせだ。



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9.陸中海岸

11.ズーズー弁に出会う

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最長片道切符の旅・6日目
10.仙人峠
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