大雨のため、思わぬ形での上越新幹線への初乗りとなった。
最長片道切符の旅を途中下車し、越後湯沢までの乗車券を
買ってから乗換え口で新幹線振替輸送票をもらう。
特急券なしで初乗りとは信じられぬ事態。
JR東日本には申し訳なく思う。

 本来なら上越線で越後湯沢に向かい、
上越新幹線で長岡に戻る予定だったが、大雨では仕方ない。
線路が水没してはもう無理だ。
自然の前で人間は非力だと言わざるを得ない。
それを肝にしっかり命じておかねば、痛い目に遭うのは自分である。

 6時48分発の<Maxとき302号>東京行に乗る。
やってきたのはオール2階建て新幹線だった。
こんなものが登場するとは世も末だと思ったことがある。
“いかに人を乗せるか?”という究極の鉄道車両だと思う。
“乗せるか?”ではなく、“詰めるか?”の間違いだろう。
ここまでくると鉄道車両も所詮は箱ではないかという気さえしてくる。
あまり乗る気になれなかったが、2階ならいいかもしれない
と、自分に都合よく考える。

 普通は東京方が12号車であるはずなのに逆だった。
時刻表を見れば済むことだが、新幹線振替輸送票をもらったりと
バタバタしてしまったので確認できなかった。
ホームの案内標識を見ればわかると安易に考えていた。
しかし、はじめての自分にはわかりにくいものだった。
乗るまでにあたふたしてしまう。
何というドタバタ劇。
乗り込んだ瞬間ドアが閉まった。

 2階席は空いていなかったので1階へ。
意外と乗ってるもんだと思った。1階の座席は空いていて
座ると目線がホームの床面の位置。新しい視点だ。
長岡駅12番線をあとにする。目の前に線路がある。
こんなに新幹線のスピードを実感できる位置もないのではないか?

 まさか新幹線特急料金も払わずに新幹線に乗れるとは
と、浮き足立ってしまったが、通学の高校生たちも振替輸送の
憂き目に遭ったらしい。喜んではいけない。

 オール2階建てゆえに、ワゴンサービスもかごで行なっている。
売れるものも限られるだろう。実際なかなかの重労働だと思う。
ぼくもカメラバッグと三脚をもって列島縦断などしているから
なんとなくわかる。

 浦佐で高校生たちは降りていった。
列車が動かなくなるような大雨でも学校に通わなくてはならぬ
彼らの日常がそこにはあった。
浦佐から10分ほどで越後湯沢に到着する。
これでまた1つ未乗路線、未乗区間が減った。
ついでに未乗列車も減った。
越後湯沢からは水上行普通列車運休に伴って
新幹線振替輸送を余儀なくされた人たちが乗り込んできた。
雪や雨にも強い新幹線らしい。
乗車完了の合図を車掌に出している駅員さんも大変そうだ。
乗り込む人たちの手には、青春18切符がにぎりしめられていた。




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 吉田で時間があるので、最長片道切符の旅を
途中下車して弥彦線の盲腸部分(吉田〜弥彦)に乗る。

 5番線に停車中の10時20分発、弥彦行に乗り込む。
2両編成の普通電車はボックスがすべて埋まる程度に乗っている。
経営が厳しくても廃止できないローカル線が数多くあるのも
東日本エリアの特徴である。
乗る人は本当に必要だから乗っているのだ。
そういった弥彦線と越後線の交差点に吉田駅はある。
ローカル線にしては大きな駅に見える。

 その吉田駅を発車し、越後線と分かれて右へカーブする。
吉田の街並を少し走って水田に出る。見渡すかぎり水田だ。
これが新潟平野の特徴的な風景なのだろう。

 眼前に弥彦山が現れる。
矢作に停車すると、その弥彦山を正面に構え、
そのまま懐に飛び込んだ。10時28分、終点・弥彦到着。

 片面1線の小さな駅であるが、弥彦山のお膝元らしく
社風の駅舎と売店、観光案内所もある。
ローカル線の終着駅といっても弥彦山への玄関口なのである。
しかも弥彦駅開業88年とあった。
信仰の対象となった山々や神社への路線の歴史は古い。
伊勢神宮への参宮線がそうであるように。

 駅前から歩いて10分の弥彦神社へ行く。
熊野三山や高野山を思わせるような厳粛な雰囲気がある。
すばらしいところである。
自分の中で新潟の新名所発見といったところだ。
ロープウェイに乗ろうか迷う。しかし、
神社内をうろうろしている間に時間がなくなってしまう。
鳥居前にある土産屋で“煮込みこんにゃく”を食べる。
うまい。
店のおばちゃんたちの笑顔もいい。
いいところに来たなと思う。
土地柄と人柄に触れて、気をよくした。
旅情の先に人情があった。
小さな旅の終着駅で、思い出を1つ置いてきた。



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上越新幹線、弥彦線の旅

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