8月24日(水)

 5時半に起きる。朝食にもありつく。
「1泊2食の宿だし、朝早いのはいつものことだから。」
という宿のお母さんの言葉には感謝の気持ち以外もてる感情はない。
おふくろと同じようなことをいう人だな・・・。

 しかし、目玉焼きを黄身の部分だけ残してしまう。
これだけは好きになれないと思う。高校の修道院で校長先生が
作ってくれた目玉焼きは美味しくて箸が進んだのに、なぜだろうか。
どうやら目玉焼きは生涯の天敵らしい。
こんなことで人の心を曇らせてしまうのは甚だ情けない。
克服するべきだろうか?

 さらに、駅まで送ってもらう。
このくらいお安い御用とのこと。
車の偉大さと人の心の温かさに触れた気がした。ありがたい。
飯山線は長野に住む人々の人情に触れる路線だと思う。

 戸狩野沢温泉駅1番線に上がる。
改札で、宿の方に見送ってもらう。
一つの出会いから一つの別れが来た瞬間。
このような瞬間が自分の周りにあたりまえにいる人たちにも
いつかは訪れるのだろう。
それを教えられている気がする。
一つの流れを最長片道切符は見せてくれている。
この先、出会う人たちにもいつかは別れが来ることを・・・。

 6時30分、長野行普通列車は発車した。
山々には雲がかかっている。
こういう天気は山間部なら嫌いではない。
川をさかのぼっているのに、千曲川の谷は開けたままだ。
ちっとも狭くならない。不思議な気もする。

 信濃平、北飯山と停まり、中核駅・飯山に停まる。
スーツ姿の人や高校生、大学生などが大勢乗ってくる。
こういう人たちのためにホームライナーなどの
通勤列車があればいいのにと思う。6時半という発車時間を
考えたらある程度は覚悟していたが、やはり通勤列車だった。

 飯山の次の蓮から再び千曲川が寄り添うようになる。
道路のように右へ左へと線路は曲がりくねって、
車輪の軋む音が聞こえてくる。
今日の千曲川は昨日のように怒った表情は見せていない。

 替佐駅から少しずつ混み始める。
長野の都市圏に入ったのだろうか。千曲川はゆったりと
流れるようになり、線路脇には果樹園が広がるようになった。
リンゴだろうか。それとも桃だろうか。

 いつしか谷は開けて善光寺平に入った。
上今井、立ヶ花、信濃浅野と停まって車内はいっぱいになった。
次の豊野で降りなくてはならないのだが、降りられそうにない。
このまま終点の長野まで行くことにする。
未乗区間の長野〜豊野間にも乗れることだし。

 長野駅は通勤客でごった返していた。
長野オリンピックがあった1998年からはや7年が過ぎたが、
活気がある町だなと思う。新幹線という新しい交通手段もできて、
東京へと人が流れてしまう“ストロー現象”が顕著らしい。
産業の空洞化がこれ以上進まなければいいと思うのだが。

 街中を歩く人たちからは、秋田や仙台のような海の香りがしない。
内陸県だから当然だが、東北や北海道とも違う田舎臭さというか
素朴さを、いい意味で感じる。
日本人は農耕民族なのだなと改めて思う。
それが長野らしさなのだろう。

 長野駅5番線に下りる。3度目の信越本線である。
入線してきた8時11分発の普通列車<妙高1号>直江津行に乗る。
元々碓氷峠用の特急型189系電車であった。
一昨日の新潟行快速<くびきの>といい、東日本は
特急型が快速電車として余生を送るのを目にする。
普通列車なのにシートがリクライニングするから
何となく贅沢に感じる。ロングシートよりは断然いい。

 隣の6番線には名古屋行の特急<しなの>が発車待ちをしている。
「名古屋」の文字が懐かしく思える。遠くから大いに回り道をして
やっと帰ってきたという感じがするのだ。
しかし名古屋には、まだ帰らない。少々の高校生を乗せて発車する。
車両が多く休む長野総合車両所の横を抜けて、北長野に停車。
さらに長野新幹線の高架橋が離れていくと、三才、豊野に着く。

 豊野からは最長片道切符のルートに戻る。
8時24分、ドアが閉まって飯山線と分かれ、単線になる。
飯山線は千曲川の谷を行き、信越本線は山を越える。
上越線と飯山線の関係も似たようなものだった。

 どんな峠道かと思ったが、渓谷に沿ってゆっくりと走っている。
右へ左へとカーブをくりかえす。
牟礼、古間に停まり、谷を抜けて黒姫へ。
右前方の山は赤倉岳だろうか。雲の合間に山頂が見えている。
北陸新幹線など開通したら、この山々を楽しめる車窓も失われる。
時間を追い求めることの代償である。

 そのまま赤倉岳の懐まで下っていくと、妙高高原に着く。
高原リゾートの玄関口らしい。先程の黒姫もそうであったが、
冬はウィンタースポーツをする人たちで賑わうのだろう。

 赤倉岳も妙高山も後ろにくると関山、二本木と停まる。
関山駅はスイッチバックが廃止されて線路が草に埋もれていたが、
二本木駅はいまだに生きていた。
貨物業務があり、JR貨物と東日本の共同使用駅だからである。
本線を右に分岐させて停車したのち、バックして本線を横断し、
折り返し線で2度目の進行方向転換を行なってから発車する。
信号が青になり、これまで通りの向きで本線に進入。
二本木駅が左に遠ざかる。連続勾配の途中に設けられた駅だった。

 二本木からさらに勾配を下って新井、北新井、脇野田、南高田、
春日山の順に停車したのち、左から北陸本線が現れて
直江津到着の放送が流れる。合流する北陸本線は複線なのに、
このまま新潟までつながる信越本線のほうが単線であった。
どっちが合流するのかわからないくらいである。

 9時39分に直江津駅6番線に到着。
向かいのホームに停車中の快速<くびきの3号>新潟行に
乗り換える人たちがけっこういる。残りは改札へ。
ぼくは5分で乗換えとなる。





26.森宮野原駅

28.フォッサマグナ

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最長片道切符の旅・11日目
27.妙高高原
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