我孫子駅6番線に停車中の常磐緩行線・普通電車に乗る。
どう見ても地下鉄の車両に見える。車内の案内板を見ると、
地下鉄千代田線直通で明治神宮や霞ヶ関へ行くらしい。
納得する。9時58分、代々木上原行は発車した。

 車内はガラガラである。
乗客なら誰でもそうだが空いているほうがよい。
リラックスする。田舎者のぼくは特にそうだ。

 北柏で乗った人が、柏駅で降りる。その分だけ乗ってくる。
降りないのはぼくぐらいだった。<フレッシュひたち>に
乗ってここまで来たら、2本ぐらい早い電車に乗れていただろう。
でもいまのぼくには急ぐ必要などどこにもない。
そもそも最長片道切符の旅自体が“速く行く”ことに反する。
いそいそと歩く人の流れとはまったく別の方向を向いているのだ。
めまぐるしく変化する車内ではぼくは依然として変り者である。

 南柏、北小金、新松戸と停まる。
10時09分着。意外に早かった。
のんびり乗り継いでも、そんなに差はないのではと思う。
ここからは38番目の路線・武蔵野線で南浦和へ行く。
乗換えは皆てきぱきとこなしている。

 府中本町行普通電車が来た。
が、ぼくは反対側のホームにいた。早速間違えたらしい。
ゆったりと自分のペースできたぼくは、
大都会・東京の洗礼を浴びてしまった。こんなにも
列車に置いていかれた感じがしたのは生まれてはじめてだ。
東北・北海道にいたせいだろうか。
これまではゆっくりと流れる時間の中に人々の営みがあったのに、
東京では時間を人々が追い越そうとしているように見える。

 反対側のホームに移り、10時24分発の普通電車に乗る。
もはや未知の世界にいる気がする。
いつもよりカメラも三脚もその他の荷物も重く感じる。
先日開業した“つくばエクスプレス”と接続する南流山で
かなりの人が入れ替わる。すると鉄橋を渡って埼玉県へ。
多摩川だろうか荒川だろうか利根川だろうか、もうわからない。
半分混乱しかけている自分に気付く。

 三郷、新三郷に停車する。
立客が出るほどに混んできた。幸いなのは土曜日ということ。
吉川、南越谷、東川口、東浦和に停まる。
高い建物はそんなにない。
これが東京ではなく埼玉だからであろうか。

 10時52分、南浦和着。
今度は迷わずに京浜東北線ホームへ行く。
しかし、乗り込んだ列車は10時59分発の磯子行快速電車であり、
向かいの1番線には先発の大船行快速電車が入線してきた。
失敗したことに気付く。もはや急ぐまい。
焦れば焦るだけ自分を見失うのも確かである。
急ぐと翻弄される。これも学習だと思えばよい。
4分の差を気にするほど小さな旅をしているわけではない。
あちらはいっぱいなのを見て、こちらに乗り移ってくる人もいるし。

 それにしても京浜東北線ということは6度目の東北本線である。
何度もお世話になった東北本線ともこれでお別れだ。
10両編成の快速電車はゆっくりと発車した。
途中の田端まで各駅に停まると案内している。
しかしその田端までこの列車に乗るのではなく、
池袋経由で遠回りをしなくてはならない。

 川口から乗ってきたおばあさんに席を譲ろうと立ち上がると
その瞬間に母子連れが座った。なんということか。
おばあさんは次の赤羽で降りるからいいと言うが、
この母子の行動はない。文句の一つでも言ってやりたくなる。
と思っていたら赤羽駅に着いた。降りなくてはならない。
非常に不愉快な思いをしているというのに。悔しい。
ぼくが譲り損なのはどうでもいい。
人の立場に立てない、自分のことしか考えない行為が
腹立たしいのである。鉄道マニアを反社会的なものと見る
世間であるが、そんな行為のほうがよっぽど反社会的だと思う。
マナーを知らずに育つ子供たちがどんな社会を作っていこう
と言うのか、末恐ろしくもある・・・。
そういう子たちは大抵疲れた顔をしている。
年寄りのほうが元気なのは東京も東北も変わらないらしい。

 赤羽駅7番線に上がる。
ここからは39番目の路線・埼京線である。
11時18分発の新宿行普通電車に乗る。乗り込むと
そんなに混んでいなかったが、十条、板橋と停車して満員になる。
悪いイメージがありがちな埼京線だが、そんな車内で
子連れのお母さんががんばって2人の子供をあやしていた。
都会の電車は、車窓よりもその乗客の人間模様のほうが
多彩である。

 池袋に到着。乗客の大半が下車する。
それに紛れて40番目の路線・山手線に乗り換える。
すぐに電車はやってきた。さすがだなと思う。
何分発かなんてわからない。来た電車に乗る。
その習慣が都会の人たちにはある。
だから本数の少ない田舎に住むことを嫌う人が多い。
それを不便と蔑む。
だが、よく考えてみたら、時刻さえはっきりしていれば
それに合わせて生活習慣ができあがる。
つまり、生活のリズムを整えたりすることも鉄道はやってのける。
鉄道が日常を守るというのはそういうことだと思う。
だから鉄道は風景に溶け込むのである。
人々の日常の中に鉄道はあるのだ。
それが“鉄道”というものの最大の魅力だと思う。
一人の人間の人生を変えることだってある。
人生の節目に鉄道があったことは割と誰にだってあるだろう。

 逆に言えば、少し待てば列車が来るというのは
一つのエゴに過ぎない。便利であることが当たり前であるはずが
ないのに、そうでなくては不満な顔をする。
どこかでこの悪循環を断ち切らなくてはという気にもなる。
変な話だ。鉄道のあり方は、これからどうなるのだろうか。

 ドアの上に液晶ディスプレイがあった。
停車駅、運行状況を案内表示し、さらに停車駅では乗換え案内も
している。その横の画面ではニュースを流す。
ハイテクな車両だが、恐ろしい光景だと思う。
車窓など要らぬということか。地下に潜ってさっさと目的地に
着いてしまう新幹線のほうがいいというのか。

 大塚、巣鴨、駒込、田端、西日暮里、日暮里、鶯谷と停まる。
山手線ゲームで登場する駅だが、なにぶん田舎者ゆえ
馴染みは薄い。時刻表は好きだが、その時刻表だけでは
対処できない東京は苦手である。最後のほうのページには、
始発と終電の時刻しか載っておらず、あとは何分間隔かと
所要時間しかわからない。
本数が多くて、頼みの時刻表もお手上げなのである。
だから時刻表を読む面白みが薄れる。時刻表が訴えてこない。
それがぼくは嫌なのだ。

 上野では10本以上の線路が並ぶ。
もはやどれがどの線だか正直わからない。
大量乗車があって、御徒町に停まり、11時56分、秋葉原に着く。
ここで乗り換える。
秋葉原は東京でいま一番元気な街ではないだろうか。
電気街口、デパート口などがあるのもおそらくここだけだろう。
つくばエクスプレスの開業に加えて、再開発が進行中らしい。
東京都内の有人改札は忙しいだろうから、
経由地の確認はないと思っていたら、やはりなかった。
多少なりとも期待していたのに・・・。



34.大混雑・フレッシュひたち

36.水郷と坂東太郎

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最長片道切符の旅・13日目
35.混迷の首都圏
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