少しずつ乗客を降ろしていくうちに、運転室後ろに座っている
2人組の子供に気が付いた。首から何かぶら下げている。
“東京総合車両センター・夏休みフェア”と書いてあった。
会話を聞くに鉄道好きらしい。紙袋には模型が入っている。
どちらかというと高価なものではない。
1000円くらいの最小スケールモデルである。
あまり小遣いを与えられているわけでもないらしい。
それでも何かしらの形で鉄道と触れ合おうとしているのである。
どこか、幼い頃の自分と、兄弟に重なるものがあった。
ちょうど国鉄分割民営化の頃で、鉄道事情は混沌としていた。
そんな中で北部九州をあちこちうろうろしていたのである。
やがて兄は2人とも高校・大学へ行き、連れて行ってくれる人も
いなくなったぼくは、一人で旅に出るようなったのだった。
14年前の4月。11歳になったばかりのことだった。

 熊谷に着くと立っていた人たちはいっせいに降りていった。
次の籠原では前の5両が切り離される。子供たちはかぶりついて
見ていた。この車両が先頭になるとわかっていたようで、
籠原から先はずっと前面展望を楽しんでいた。

 16時22分倉賀野着。
ここで最長片道切符のルートは折り返して八高線に入るのであるが、
八高線列車の始発駅となる高崎まで行くことにする。
新幹線ホームしか通ってないので、在来線ホームの空気も
味わっておきたい。16時28分、高崎着。

 2度目である。
いろんな方向から線路が集まる駅だ。最長片道切符の旅では
長野→高崎→越後湯沢、水上→新前橋→小山、
大宮→倉賀野→高麗川と、高崎を起点とする路線ばかりだ。
それ以外にも盲腸線である信越本線と吾妻線がある。
その高崎駅3番線に向かう。

 2・4番ホームの端にある高崎駅3番線に下りる。
16時58分の高麗川行普通列車に乗る。
東北地区で散々お世話になったキハ110形というディーゼルカー。
この旅では最後となるだろう。
東日本エリアを出る日もそう遠くはないようだ。

 定刻に高崎駅をあとにし、5分で倉賀野に停車。
ここから48番目の路線・八高線に入る。
しかしである。だいぶ都会の波に揉まれてしまったせいか、
ぐっすり眠ってしまう。列車はお構いなしに走り、
群馬藤岡、丹荘、児玉、松久、用土、寄居を過ぎて、
竹沢に着くところであった。両毛線や水戸線同様、関東地方から
放射状に延びる線路を横につなぐ路線ゆえ、東武鉄道をはじめとする
私鉄との乗換えが案内放送されていたのはまどろみの中で
覚えている。

 その竹沢を出て、小川町、明覚と山中を走る。
水戸線や両毛線よりも沿線人口が少ないようだ。
少しずつ外が暗くなってきて、18時21分、終点・高麗川着。

 ここから先は飯能などのベッドタウンを通り、
八王子に近いために電化されている。大宮で埼京線とつながっている
川越線も高麗川から分岐する。ここは通勤の流れが合流・分岐する
ところでもあるのだ。乗り換え時間3分で1番線に向かい、
18時25分発の八王子行普通列車に乗り換える。

 外を見ても真っ暗になっている。
寝るならせめて夜が更けてからにすればよかった。
しかしよくよく考えてみると、ここから先も20〜30分おきに
乗換えがあるので、寝てしまうのは危険である。
車窓に灯はほとんどない。
住宅地と呼ぶほどに密度が高いわけではなさそうだ。
東飯能、金子、箱根ヶ崎と停まってもそれは変わらず、
18時51分、拝島着。ここで下車する。

 拝島は八高線と奥多摩方面の青梅線、五日市線が交わる駅。
3番線に上がるとまもなく電車が入ってきた。
首都圏を脱したはずなのに、また戻ってきている。
一体何をしているというのか。
19時54分発の立川行普通電車に乗る。

 立川まで10分、あっけなく到着した。
下車して階段を上がると驚いた。とんでもない人の流れである。
新宿駅よりも人の流れは速い。そしてスペースがさほど
広くない分だけ密度が濃いのである。
それらすべての人が縦横無尽に歩いているので、
流れといってもそんなものは存在しない。
まったくランダムに流れていて、それぞれが意思を持って
歩いている様子に圧倒された。
不規則なら不規則なりにおもしろいものである。

 その混沌の中に呑み込まれながら、南武線ホームを探す。
次の発車まで6分あることを確認してから途中下車印をもらう。
が、インクが多すぎる。これでは山形駅同様、券面上でも
何が何だかわからない状態になりかねない。
これもやむを得ないだろうか。

 混沌とした坩堝の中に身を投じて、8・9番ホームへ下りる。
もはや写真を撮ることすら忘れてしまいそうだ。ほうほうの体で
19時15分発の川崎行普通電車に乗る。
青梅・五日市線は49番目であったから50番目の南武線である。

 混んでいる。やはり東京は苦手だ。
やっと余裕が出たのは武蔵野線と接続する府中本町であった。
窓の外に目をやると、どうやら多摩川を渡っているらしい。
しかし、どんな駅があったのかいまひとつ思い出せない。
拝島からの青梅・五日市線は昭島、中神、東中神。
なるほど確かにあった。
立川からの南武線は西国立、矢川、谷保、分倍河原、府中本町、
南多摩、稲城長沼、矢野口、稲田堤、中野島と停まった。
次が登戸ではないか!
最後までそそっかしさが全開になるところであった。

 今日は登戸で下車して、小田急小田原線沿いの狛江に住む
親戚の家にお邪魔するのである。
乗り換えに失敗したりしてだいぶ遅れてしまった。
昨日兄に言われた「夜8時は十分遅い時間だぞ」という言葉が
突き刺さる。普通の家なら夕食を終えた時間でもあるし。
急がなくては。

 19時42分、登戸着。
今日の最長片道切符の旅はここで終りである。
小田急線に乗り換えて狛江で下りると、改札口で叔母さんは
待っていてくれた。三脚を持っているので一目でわかったらしい。
その三脚をくれた大叔父の家にお邪魔するのである。
最長片道切符のルート上に親戚の家があるのも巡り合わせだろうか。
ぼくは母親にそっくりらしい。
特にメガネをかけた様子がそうだという。

 そんなめぐり合わせの中で、もたらされたものがもう一つ。
一脚である。右手に三脚、右手に一脚。これでは二丁拳銃というか、
二刀流ではないか。こんな重装備ははじめてである。
カメラは一台なのに。九州からもう一台、遺品として眠る同型機種を
送ってもらうしかなさそうである。
ごはんも非常に美味しかった。お腹いっぱいなので寝ることにしよう。
今日は本当にごちそうさまです。



39.摩天楼

41.ラッシュアワー

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最長片道切符の旅・14日目
  
  
  
  
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