定刻に横浜駅をあとにする。
桜木町、関内、石川町、山手、根岸、磯子の順に停まる。
外はすっきり晴れている。高速道路もよく見えている。
今日京葉線に乗っていたら、東京湾の港湾地区もあんなに
どんよりとして見えずに済んだだろう。
住宅地が尽きることなどなかったから気付かなかったが、
この辺りは東京近郊というよりも横浜近郊なのである。

 東京への流れもあるのだろうが、
新杉田、洋光台、港南台、本郷台などは紛れもなく横浜の住宅地だろう。
それにしても首都圏の通勤型車両はよく考えて設計されている。
シートとドア付近の仕切りがしっかりしていると思う。
そんなことを考えながら、10時34分に終点・大船到着。

 ここもまた立川同様に人が行き交う場所である。
あたふたしていたらあっという間に呑まれてしまう。乗り換え時間の
10分間がこんなに余裕あるものに感じられるのも、すべて東京という
町のせいではないだろうか。3分という時間が長く感じられたり、
もたもたしているだけで周りがイライラしているようにすら思えるのだ。
個々の人から、自分のことだけ考えて生きているような冷たさも
感じられて、どうにも居心地が悪い。
田舎のよさというものをしみじみと思い起こしてしまう。

 “自分のことだけ”といったが、その際たるものは携帯電話である。
「あれば便利」というものに過ぎないはずなのに、それに依存する人が
やたらと多いのである。電話など携帯しなくても生きていけるはずである。
なのに、携帯電話がないと不便なように世の中が変わってしまった。
社会を変えてしまったものの一つと言えよう。

 大船駅3・4番線に下りる。
ここから東海道本線に乗るのだが、やってきたのは湘南新宿ラインの
電車であった。線路は同じでもまったく違う路線を走る電車がひしめき合う
のはどこでも見られるが、東京の場合は同じ線路を違う愛称の路線で
走るから、田舎者のぼくには非常にわかりづらい。
ただ、湘南新宿ラインというものが、小田原から新宿を経由して
大宮方面へと抜けることぐらいわかっていたので、安心して乗れた。

 グリーン車に乗ろうかとまたしても迷ったが、
空いていた普通車に乗った。藤沢、辻堂、茅ヶ崎と快調なペースで
走っていたら、急ブレーキがかかった。
「急停車します。」とテープ放送が入る。芸が細かいことだ。
ついに停車してしまった。
乗客は皆いぶかしげに前のほうを見ている。
前を見たところで運転室があるから、わかるものでもない。

 踏切内で車が立ち往生していたための急停車との放送が入る。
無理に踏切を横断するものでもなかろう。小学校で教わることだ。
事故にならなかったのは本当に幸いだった。踏切内の安全点検を
行なったあと、4分遅れで発車した。丁寧なお詫びの放送が入る。
事故にならなくて、車掌も運転士もほっとしているだろう。

 平塚、大磯、二宮と各駅に停車し、4分遅れのまま
11時17分に国府津着。ここはかつての要衝でもある。
いまは国府津電車区があって、東海道本線の電車をまかなっているが
これから乗る54番目の路線・御殿場線は、旧東海道本線である。
現在、箱根の山を貫く丹那トンネルが開通するまではこちらが
東海道本線であった。北へ迂回して富士の裾野を走らねばならぬほどに
天下の険・箱根の山越えは険しいのである。

 国府津駅3番線に下りていくと、11時30分発の
御殿場経由・沼津行普通列車はすでに停車中だった。
ここからついにJR東海エリアとなる。管轄が変わるので車掌も運転士も
制服がこれまでとは違っている。

 国府津駅をあとにした列車は、
国府津電車区の横を抜けて下曽我、上大井と停まる。
左手には、雲にわずかばかり届かぬ箱根の山々が連なる。
相模金子の次の松田では、小田急線との接続駅でもあるから
乗客が入れ替わる。箱根の北にある谷の入口・東山北で高校生を乗せ、
山北に着く。名前の由来は山の北で、そのままであろう。
ここはかつて山北機関区もあった要衝・鉄道の町である。
東海道本線として御殿場線とともに栄え、御殿場線とともに衰退した。
それを今でも見守るかのように、駅構内の外れにD52形蒸気機関車が
静かにたたずんでいた。旧東海道本線で活躍したSLである。
鎮座とはこういうのを言うのであろう。

 山北を出た列車は山越えにかかる。
箱根の山の北の端であり、蒸気機関車時代は後押しの機関車が
必要だった難所である。谷峨、駿河小山、足柄と停まる。
川と絡み合うので渓谷にさしかかっているらしい。
東名高速道路はかなり高いところを走っている。
だが線路が敷かれているところは決して狭くない。左側に少しの敷地が
続いているのは複線だった頃の線路跡である。
かつては一等展望車が走っていた線路が撤去され、
いまは草ボウボウに荒れ放題なのだ。
川を渡る時にはレンガ造りの橋脚が並ぶ。トンネルに入る直前には、
もう一つ廃墟と化したトンネルがぽっかりと口を開けている。
戦時中、樺太や中国での鉄道敷設のために資材を供出、
剥がされてしまったという。
鉄道変遷の非情さを思わずにはいられない。

 山を下りて御殿場着。
6分停車の間に乗客が入れ替わる。御殿場駅もご多聞に漏れず
ホームが長い。大幹線時代に特急列車が発着していた名残である。
御殿場を出ると富士山の裾野が見え始める。
だが頂には雲がかかっていて、日本を代表する秀峰は拝めなかった。
明日なら見えまいかと思う。期待したい。
南御殿場、富士岡、岩波、裾野と停車する。

 静岡県といえばお茶の産地である。
東海道新幹線といえども牧ノ原台地の茶畑の中を走るからよく見える。
この裾野市には“茶畑”という地名があるのを思い出した。
新潟や秋田で“米田”や“稲田”という地名があるのと同じようなものだ。
実際あるのかどうか定かではないが・・・。

 長泉なめり、下土狩、大岡と停車し、12時55分に終点・沼津到着。
ここから今日3度目の東海道本線である。
途中下車印ももらっておく。
「うーん。自分で押したほうがいいでしょ?」
というので切符の値段が書いてある横に押す。きれいに押せた。
「すごいねぇ。いっぱい回ったねぇ〜!」
と言ってくれた。やはり関心のある人には目を引くらしい。
そのまま2番線に下りた。








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