天竜峡発車前にその前に途中下車印ももらっておこう。
「これはすごいなぁー!」
のお言葉をいただいた。もはや最長片道切符は通行手形のようだ。
天竜峡駅は簡素な駅である。小さな集落の小さな玄関といった感じで、
構内も小ぢんまりとしている。

 普通列車・飯田行は12時03分に発車した。
天竜峡から先はこれまでの谷の狭さがウソのように開けてしまう。
中央アルプス木曽山脈と南アルプス赤石山脈の接する南端部分を越えて
伊那谷へ下りてきたのである。高速道路は恵那山を貫いている。
ここまでの路の険しさと人口の少なさからもその理由がよくわかる。

 民家も増えて下伊那から飯田市に入ったらしい。
山道でもないのに急曲線が連続し、民家の軒先をかすめる。
車輪の軋む音が消えぬまま、12時34分に終点・飯田着。

 “伊那谷そば”なる立ち食いそばに惹かれる。
悩む。とことん悩む。結局弁当にしてしまった。
そばといなりにしておけばよかったかもしれない。
少し悔しくなったので五平餅を食べる。味噌が甘くて非常にうまい。

 ホームでのんびり過ごしていると、3番線に茅野行普通電車が入ってきた。
豊橋から天竜峡まで乗ったのと同じ車両だった。ならばいっそのこと、
天竜峡で分けずに1本の列車にして豊橋発茅野行にすればいいのにと思う。


 13時31分に発車して、桜町、伊那上郷、元善光寺の順に停まっていく。
伊那谷の端の斜面を走っているようで、谷がきれいに開けて見える。
反対側の赤石山脈は壁のように高くそびえ、雲にも届きそうな威容を見せる。
そして山々を威圧するかのごとく入道雲が連なっていた。

 下市田、市田、下平、山吹、いずれも小さな駅で、車掌が切符を回収している。
回収の際は乗客と一緒に扉からホームに降りているから、ドアを扱っているのは
運転士で、車掌は省かれた手間を車内発券に費やす仕組みらしい。
無人駅の多いローカル線での涙ぐましいコスト削減の努力だ。
そしてそれらの無人駅に紛れて点在する有人駅には貨物用ホームがあるものが
多い。かつて小荷物や郵便物を鉄道で扱っていた頃の名残だろう。
南北に長い上、四方向をアルプスの山々に閉ざされた険しい伊那谷ゆえに
道路事情がよくなかったことがわかる。
そういった駅を過ぎて、14時44分に駒ヶ根着。
14分停車する。

 右手に南アルプス、左手に中央アルプスがあるので駒ケ岳の最寄り駅である。
途中下車印をもらう。ゴム製の下車印自体がつぶれていたせいか、
「あれ?これじゃわからんなぁ。もう1つ!あれ?すみません、押しなおします。」
と、合計3回押されてしまった。

 駒ヶ根駅付近が駒ケ岳の裾野部のサミットだったらしく、駅を出た途端に
下り坂となった。駒ヶ根とはわかりやすい名前である。
再び伊那谷が開け、伊那市が一望にできるようになる。
大田切、宮田、赤木、沢渡、下島の順に停まり、15時19分に伊那市着。
乗客の半分ほどが入れ替わる。残りの半分のうち、10人が伊那北で下車した。

 飯田を出た辺りでは前方にあったはずの雲に覆われてしまったようで
すっかり曇天になった。伊那新町で対向列車とすれ違い、左から中央本線が
近づいてきた。景色の中から音もなくフッと線路が現れて寄り添うのも
鉄道らしさである。知っている線路、乗ったことのある路線でも、
他の路線から見たら印象がまったく異なる。新鮮味に欠けることはない。

 16時05分、辰野着。
69番目の路線、飯田線の旅は終わりである。豊橋から辰野まで200km弱、
92もの駅があって、今日の3分の2を占めた路線は風光明媚なものだった。
辰野からは前半散々お世話になったJR東に本エリアに入って、
この旅3度目の中央本線である。

 茅野行普通列車は辰野から12分で岡谷に着いた。
ここで塩尻方面へと折り返す。中央本線は岡谷〜塩尻間が2つに分かれている。
辰野経由のほうが先に開業した旧線である。
地図を見るとわかるが、上諏訪から西進してきた中央本線は大きく南に
カーブしている。これは伊那谷にも便利なようにと政治の力が働いたためで、
岡谷と塩尻の間にある塩尻峠を迂回する形になってしまった。
岩手県・一ノ関と宮城県・気仙沼を結ぶ大船渡線が政治の力で
ナベヅルの形になってしまったのと同様である。
その後、みどり湖経由で新線が開業し、特急列車はそちらを通るようになった。
辰野経由の旧線はローカル線の様相を呈するようになって現在に至っている。

 途中下車印をもらった後、16時29分の長野行普通電車に乗る。
3両編成の電車だが、高校生で超満員となった。辰野経由との輸送量の格差は
何なのかと思ってしまう。身動きのとれぬまま、10分ほどで塩尻に着いた。

 塩尻はジャンクションである。
それを象徴するかのように、ホームからは左右に分かれていく中央本線の
線路が見渡せる。甲府方面が中央東線、名古屋方面が中央西線である。
中央本線は東京から新宿、八王子、大月、甲府、諏訪、塩尻、木曽を通って
名古屋にいたる路線であるが、塩尻を境に沿線風景も人の流れもまったく
異なるのでこのような呼ばれ方をされている。塩尻駅構内も改良工事が
行なわれて現在のような配線となった。別の路線として扱うほうが正しいと言える。
ただし、駅の南側には貨物列車用に信号場があり、進行方向を変えずに
西線と東線を行き来することも可能である。昔の塩尻駅跡らしい。
名古屋方面と塩尻方面とを行き来する際の方向転換の不便を解消したのである。

 立ち食いそばを見ると信州そばであった。
そういえば車窓には甲府盆地と同じくブドウ畑が広がっていて、
時折ワイナリーも見かける。畑が多かった伊那谷ともその南の中央構造線付近とも
まったく異なる光景が広がる。ここは信州の端なのであった。



48.フォッサマグナ再び

50.木曽谷の振子特急

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最長片道切符の旅・17日目
49.アルプスに囲まれて
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