長浜駅へ戻る途中、のっぺいうどん屋を見つける。
つゆがどろどろのあんかけで、大きな椎茸がのった腹の膨れるうどんである。
これも食指を動かすに値する。しかし、ここは我慢とばかりに改札を抜ける。

 出るときは忙しそうだった改札口で途中下車印をもらう。
「ありゃー!これはどこへ押せばええねん?あ?経由地の2枚目?
このあたりで押しまっせ!?ぶちゅ〜っと!」
と言われた。思わず肩の力も抜けてしまう。
秋田辺りで「いぐ来たなぁ〜!」と言ってくれた駅員といい、この長浜駅といい、
駅員にもいろいろあるらしい。

 4番線に行くと、8両編成の新快速電車が入線してきた。
網干行と書いてあるが、案内では播州赤穂行である。
「途中米原で前4両を連結いたしまして、12両編成で運転いたします。
姫路の先、網干から前4両が播州赤穂行となります。」
要するに、ここにある8両は播州赤穂まで行かないのである。これでは
注意のしようがないではないか。
もっともぼくは米原までなのでまったく関係ない。

 16時04分に発車する。
長浜鉄道スクエアとして保存されている旧長浜駅舎、D51型蒸気機関車を右手に
見ながら本線に入る。水田の向こうには琵琶湖の湖面が見える。
田村、坂田に停まる。田村駅は少し構内が広い。かつては米原と田村の間に
交直切換があり、北陸本線に入る特急電車はいいが、客車列車は米原で
直流電気機関車を切り離し、ディーゼル機関車で田村まで牽引して交流電気
機関車に付け替えたという。

 東海道新幹線と東海道本線をくぐって、その米原駅に着く。
前4両をつなぐとドアが開いて、下車する。ここからは6回目の東海道本線である。
途中下車印をもらって、駅そばを注文する。350円の“よもぎそば”。
よもぎの葉が練りこんであるので麺が緑色である。湯がいたあとにワラビや
ゼンマイなどの山菜をのせて、つゆをかける。9月なのでまだ暑く、汗も出るが
ホームに吹く風の中で食べられるそばは鉄道だけのものである。
向こうのホームでは貨物列車が通過し、こちらのホームには新快速電車が
到着する。聞こえてくる列車の轍と人々の雑踏の中でそばをかきこむのは
何物にも代え難い風情がある。
おばちゃん、ありがとう。

 米原は鉄道の町である。
いま近江鉄道が発着するあたりにも広大な敷地があり、すべて線路で
埋め尽くされていた。米原機関区もあり、千人単位の鉄道マンがここに
勤務していたという。時代とともに寂れてしまったが、ホームの片隅には
蒸気機関車時代の洗面台があり、往時を偲ぶこともできる。
特急列車が北陸本線に残っていることで面目をかろうじて保っている。
そして北陸の情緒が漂う不思議な駅である。東海道本線でここを通るときは
いつも北へ誘われているような気さえする。そんな駅だから立ち食いそばが
似合うのだろう。

 その米原からは名古屋行の特急を待つ。
いつもいつもここを通るときは直通の新快速電車に乗ってしまうので、たまには
東海道本線の特急列車に乗っておきたい。この旅の中で6度目でもあるし。
選んだのは、登場以来40年走り続けてきた特急<しらさぎ>である。
最近になって<サンダーバード>と同じ新型車両に置き換えられたらしい。
乗ってみよう。

 17時20分に特急<しらさぎ12号>名古屋行は、進行方向を変えて発車した。
ゴトリゴトリと分岐器を渡り、東海道本線へと踏み入れる。いましがた通ってきた
ばかりの北陸本線を跨いで国道が寄り添ってくると、養鱒場のある醒ヶ井を通過。
この辺りは養鱒が盛んで、米原の駅弁にも“元祖鱒寿司”がある。

 おかしなもので、東海道本線を上らなければならない(東進)のである。
12日目にも東北本線を北上した。九州を目指しているのに、遠回りせんと
逆向きに走らねばならない。最長片道切符は乙なものだ。いつになったら
本格的に西を目指すのか?と思う。

 左手には伊吹山がその威容を見せている。
近江富士よりもはるかに高くそびえ、美しい山だと思う。
湖北路はこの山が見えていてこそだと声を大にして言いたい。
近江長岡、柏原を通過する。右に左にカーブを繰り返し、途中で新幹線を跨いだり
国道と並んだりする。関ヶ原は雪こそ降るが、鈴鹿山脈よりも地形は緩やな分、
交通路が集中しているのである。

 “東軍の将・西軍の将”の看板がある天下分け目の関ヶ原を通過し、
下りの線路が1本分岐して離れていく。この分岐したものは垂井駅を経由しない
線路。迂回して距離は増えるが、勾配が緩和されていて特急と貨物列車が
使用している。新垂井駅がその線路上には存在したが、現在は廃止された。

 垂井駅で特別快速を追い抜く。
先ほど分かれた線路と、美濃赤坂からの東海道本線の枝線が現れると
南荒尾信号場である。国道をくぐれば名古屋地区の電車を集中管理する
大垣電車区を横に見て17時46分、大垣着。名古屋都市圏の西の端で、
新快速・快速電車はここで折り返す電車がほとんどである。
横を見ると樽見鉄道のディーゼルカーが停まっていた。根尾川の谷に沿って
樽見まで伸びる旧国鉄樽見線である。

 大垣を発車するとその樽見鉄道がしばらく寄り添い、市街地を離れて
揖斐川を渡る。長い鉄橋だが遮蔽物も高い建物もないので、伊吹山東の山々が
夕焼けに浮かんで見える。ひときわ高くそびえる伊吹山には真ん丸の太陽が
沈もうとしていて、青空に浮かぶ頭上の雲を赤く染めている。
特急<しらさぎ>はそんな空に向けてはばたく。

 米原で新幹線に乗り継いだ人たちがほとんどだったらしく、
車内はがらんとしている。その中で車掌も車内改札を改めて行なっている。
最長片道切符は見ただけで、
「確認する必要はなさそうですね。大丈夫だと思います。」
と笑っていた。そんなものだろうか。。。
大垣運輸区のチケッターを押してもらう。

 穂積、西岐阜を通過し、長良川を渡って高架橋に上がると
17時54分に岐阜到着。今日の最長片道切符の旅はここで終わりである。
一旦名古屋に戻ろう。途中下車印をもらい、特急<しらさぎ>を降りた1番線に
立つと、垂井で追い抜いた特別快速がやってきた。名古屋まで18分。
河口付近ではあんなに近かった木曽三川は互いに離れ、木曽川を渡る頃には
西の空が赤く染まりきっていた。



64.デッドセクション

66.峻険たる山々と

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65.しらさぎのはばたく時

最長片道切符の旅・21日目
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