敦賀行普通列車の中に旅日記を忘れてきてしまった。

 さてどうするか。行ってしまった列車は戻ってこない。それはぼく自身が一番
よく知っている。追い付くしかないのである。足の遅い普通列車に忘れてきた
というのは不幸中の幸いだった。

 とりあえず改札で途中下車印をもらいながら事情を話す。
6時55分発の泊行普通列車を見るまでは、改札を離れられないと言う。
連絡はすると言ってくれる。が、どうにも対応としては納得いかない点がある。
どうにか何とかなりそうな気がするからである。

 やむを得ない。
自分で追いかけようと思う。それしかあるまい。
6時41分発の特急<雷鳥4号>に乗る。パノラマグリーン車を先頭にした
旧国鉄色の9両編成であった。クリーム色と赤のツートンカラーの懐かしい
国鉄色。ぼくにとって特急と言えばこの色である。
どこまでも特急は憧れの対象だった。子供の頃、乗りたい乗りたいとどれだけ
願ったかわからない憧憬の国鉄特急に乗り込む。

 ここからは時刻表との勝負である。
特急の俊足の見せ所だぞ、と思う。まだ乗客はそんなに多くない時間である。
どこで追い付くかと言えば、7時03分着の福井駅である。問題は<雷鳥4号>
が1分停車ということである。日本の鉄道の場合、15秒単位でダイヤが
構成されているから、7時03分45秒着・7時04分15秒発の可能性もある。

 ならば途中下車案も出てくる。
しかし、どうにも今日は厳しいスケジュールだ。敦賀からの小浜線は
本数が少ない。しかも今日中に名古屋に帰らなければならない。
どの乗換駅でも5分から30分で構成されている今日のスケジュールは
完成度のが高い。そういうものほどいじるのには頭を抱えてしまう。
今日はあきらめてJRに任せるしかないのか。

 ともに旅をしてきた日記をあきらめきれないぼくは、
3号車の車掌室へ行った。事情を説明すると、
「列車の中でどこに座っていたのかも明確に覚えているのであれば、
福井駅は1分停車ですのでドアを開けておきます。もし車内にないようであれば
普通列車の車掌のところへ行って下さい。」
と言ってくれた。もし車掌のところに行ってなければあきらめるという約束である。
6号車付近がちょうど普通列車の向かいにあたるとも教えてくれた。
非常にありがたい。こんなに協力的な車掌さんははじめてである。

 6時52分の芦原温泉駅発車時点でこのようなことが決まり、
福井駅で追い付くことを確認の上、福井駅では向かいのホームに停車中の
敦賀行普通列車に数秒間だけ乗ることになった。福井の市街地が見えてきて
九頭竜川を渡る。この川が福井豪雨のときに氾濫したおかげで越美北線には
乗れないのだが、今はそんなことを考えている余裕がない。ぼくの頭の中が
氾濫していて大洪水の状態である。落ち着かなくてはいけない。
ただ自分は混乱しているのである。

 こんなことを考えられるのならまだ冷静なのだ。
と、自分を落ち着かせていると高架橋に上がり、先ほどの3両編成の
普通列車が見えてきた。敦賀行の3両編成である。
7時03分、福井駅到着。

 ドアが開くと同時に走る。
目指すは3両編成の真ん中の車両のボックス!
しかしテーブル上にはない!
座っている人にも訊いたが、なかったという返事が返ってきた。
車掌のところへ走る。<雷鳥4号>を遅らせるわけにはいかない!
そんなことをしたら他の乗客の鉄道への信頼が揺らいでしまう。

 「あ!加賀温泉のお客さん?ノートでしょ?特急に乗って追っかけてきたんか?
ちょっと待ってや・・・・・・。これか?ちょっと見たけどすごい日記やなぁ!」
といって渡してくれた。ありがたい!30分手元を離れただけなのに
かなりうれしかった。加賀温泉駅が手配しておいてくれたのである。遺失物の
手続きが必要だとも言わずに融通を利かせてくれる車掌さんでよかった。

 「本当にありがとうございました!」
と言って振り返ると、<雷鳥4号>の車掌さんがいた。ぼくが普通列車の車内に
いる間に車掌室からホームに降りて、普通列車の様子を見ていてくれたらしい。
その行為と温情に目頭が熱くなった。
「見つかりましたか?早く乗ってください!どうぞ!」
と言って乗せてくれた。すると乗車完了の合図を出してドアを閉めた。

 「遅れは大丈夫ですか?」
と訊くと、定時運行との答えが返ってきた。1分の壁を越えたのである。
その割には長かった気がする。何にしても遅らせることがなくてよかった。

 「何なのですか?このノートは?」
と訊かれる。“最長片道切符の旅”と書いてあるのを見て、
「なるほどー!こりゃ切符と同じくらい大事なものですなぁ!じゃあのちほど
車内改札でお伺いしますので、席にお戻りください。」と言ってくれた。
乗客の立場に立ってくれる親切な車掌どのである。深々と頭を下げておく。
この車掌さんでなかったら、この日記は手元になかったかもしれないのである。
普通列車の車掌さんも同様だ。このときぼくは、自分自身で旅をしているのでは
なく、旅をさせてもらっていることに改めて気付き、大いに感謝した。
いくら礼を言っても足りない気がする。
最後まできちんと旅がしたい。そう思った。

 7号車の自分の席に戻る。
せっかくの国鉄特急<雷鳥>である。楽しんでおきたい。
もう十分思い出深いものになってはいるだが・・・。

 <雷鳥4号>は福井を出たところである。
“雷鳥”の名は言うまでもなく立山に棲息する“ライチョウ”という鳥に由来する。
一方、“しらさぎ”は加賀の山代温泉が発見されたときに、温泉に浸かっていたのが
白鷺だったことに由来している。

 車内は半分ほど埋まった状態。
車掌室にいくときに気付いたが、指定席の車両は床が一段高くなっている。
アコモデーションが改善されているらしい。10分で鯖江、さらに5分で武生に着くと
満席になった。

 車掌どのが改札に来た。
最長片道切符と敦賀までの自由席特急券を見せる。
「ありゃあ?今日の日付の大阪車掌区のスタンプあるじゃないですか。そうか、
<サンダーバード2号>ですね。」
と、おっしゃる通りなのだが、サンダーバード2号ではチケッターを求めると
「自分で押されてはいかがですか?」
とチケッターを渡してくれて、握り方も押し方も教えてもらったのだった。
2つめのスタンプを車掌さんの手で押してもらいたい旨を告げると、快諾してくれた。
同じ“9.16 大阪車掌区”のスタンプが2つ。
こんな乗車券も、こんなに世話になることも滅多にないはずである。
鉄道に携わる人たちのおかげで旅を続けられるし、それが深みを増してくれる。

 特急<雷鳥4号>は王子保、南条、湯尾を通過する。
この辺りは越前そばで知られる地域である。その1つの今庄そばの看板が
見えると今庄を通過する。さらに山間に分け入って南今庄を通過すると
右に旧北陸本線の線路跡が分かれて北陸トンネルに入る。

 先日通った琵琶湖岸・木ノ本から敦賀に至る峠路同様に、
敦賀〜今庄間には杉津峠と呼ばれる難所が存在した。いま走っている
北陸トンネルの開通とともに廃止となった峠である。敦賀湾と日本海を同時に
車窓から見渡すことのできた杉津駅は、北陸自動車道の杉津SAになっている。
敦賀を発車した列車が後押し用に連結された補助機関車とともに
なんださっかっこんなさっかっと上りきったところに開けた名所だったという。
交通の発達が旅情を埋没させてしまうといういい例だ。

 北陸トンネルを抜けると7時38分、敦賀到着。
なんだか名残惜しいが下車する。ホームを歩いていると、たたまれていた
パンタグラフが上昇し2基の対になった。この先の近江塩津から直流区間に
入るためである。しかも屋根上のクーラーはキノコ型と呼ばれる古いタイプ。
最も古い車両だったと気付くと立ち止まってしまった。
まだ走っていたのか、と思う。憧れていた車両は、乗務する人までも憧れの
対象にするような力を持っているらしい。

国鉄特急はゆっくりと発車していった。



69.倶利伽羅峠

71.若狭湾

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最長片道切符の旅・23日目
70.憧憬の国鉄特急
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