9月17日(土)

 朝5時に起きる。
千種駅から中央本線と東海道本線を乗り継いで米原へ向かう。
毎度毎度のことである。しかし今日は土曜日なので若干時刻が違い、
米原で乗り継ぎに失敗する。余裕を持って出てきていたので心配は
要らないから、のんびり列車を待とう。

 今日からは名古屋も関西も離れる。
盛況の新快速電車に乗り、8時54分に新大阪駅に着く。
今日の旅の最初の列車となる特急<北近畿3号>はすでに入線していた。

 その18番線に行く。
4両編成は短いが、元々は昨日乗った特急<雷鳥>にも使われていた
車両なのでクリーム色と赤色の国鉄色である。そして隣には、なんと
昨日の<雷鳥4号>である。“そのまま旅を再開しろ”ということなのか、
それとも、“今日は旅日記を忘れるなよ”ということなのか。
昨日の感謝の意を込めて見送った。
車掌さんは残念ながら違っていたけれど・・・。今日は気を付けよう。

 特急<北近畿>用の特急電車は交直両用から直流専用に
改造されている。区別する必要があるために窓の下に1本ラインが入り、
運転台側面には“北近畿ビッグ]ネットワーク”の絵が描かれている。
京都〜福知山〜天橋立と大阪〜福知山〜城崎温泉を主軸にして
福知山で交差・接続をするネットワークのことである。その主軸から
小枝のように久美浜や舞鶴のラインがくっついている。

 9時04分、定刻に新大阪駅を発車する。
まもなく淀川を渡り、大阪駅に着くと大量に乗車があった。4分停車の間に
満席となって9時12分に発車。再び淀川を渡る。大阪に来たという感情が
高ぶる一幕である。このようにして気分を高揚させてくれるものが
名古屋にはない。名古屋駅のセントラルタワーが見えたところで、
所詮それは人口の構造物。情緒があるものとは程遠い。残念な話である。

 尼崎着9時18分。
ここから今日の最長片道切符の旅を始めることになる。東海道本線を
跨いで72番目の路線・福知山線に進入する。特急<北近畿3号>は
スピードを上げずに、5ヶ月前に起きた脱線事故現場を通過した。

 さすがに胸が痛む。
献花台に花束を置いたとき以上のものを感じる。様々な感情が
込み上げてきたが、もはや多くは語るまい。最長片道切符は何を見せたい
のだろうか?という気持ちに時々させてくれる。

 塚口、猪名寺、伊丹、北伊丹、川西池田、中山寺と市街地の駅を通過し、
宝塚に着く。宝塚まではベッドタウン化・宅地化が著しく、福知山線が
愛称をJR宝塚線として急速に成長したのもそのためである。

 宝塚を出ると山間の風景となる。
武庫川の谷である。しかし線路は真新しい複線電化の高架橋で谷を貫く。
途中、武庫川を何度も渡るのだが、その川に沿って線路跡がある。
旧福知山線の路盤であり、昨日の山陰本線のように線路付け替えによって
廃止となった線路である。その路盤の上を散歩している人がいた。

 新鮮となって移転した生瀬、西宮名塩、武田尾などの駅を通過したら
谷が開けて9時43分、三田着。人が降りる気配はない。先行列車が
いなくなったせいか、三田からは快調に走り始める。

 車内改札がある。
4両という短い編成であるのに、車掌は2人乗務らしい。
最長片道切符の“尼崎・福知山線・福知山”の文字を見せる。
特に驚いた様子もないのは性格なのか、忙しいからかわからない。
ぼくの期待しすぎではないかとも思う。

 しかし、忙しいことだけはわかる。
1列に2人は特急券を発券している。3号車の自由席だけでも30分近く
かかっている。特急券を持たずに乗る人が半分くらいいて、どうにも
スムーズにはいかないらしい。

 3号車の車内改札が終わりきらないうちに篠山口に着いた。
ここまでは大阪の都市圏なのだろうか。快速電車が30分おきに
運転されている。しかし風景は多少なりとも鄙びてきており、家の造りは
入母屋の堂々としたものに変わる。摂津から丹波に入ったのである。

 篠山口はデカンショ節で知られる城下町で、
“デカンショ弁当”がある。どんな弁当なのかと思うが、如何せん特急では
停車時間が短くて買う余裕もない。かといってこの<北近畿3号>は
短い編成ゆえに車内販売員は乗務していないらしい。しくじったと思う。
ホームにも駅弁売りの姿はなかった。

 篠山口からはローカル線の趣がさらに濃くなり、単線になる。
<北近畿3号>は再び渓流に沿う。武庫川ではなく、加古川の上流の
篠山川である。しかしどうも対岸の道路が目障りである。山間の風景に
融け込んでいない。残念に思うのは鉄道での旅することの宿命とも
思うのだが、こちらは線路脇の柵が低い。鉄橋にいたっては柵など
ないため、道路を走りながらよりもすこぶる眺めがいい。

 加古川線が分岐する谷川を通過して、10時20分・柏原に着く。
篠山口と同じくらいの下車があり、ぽつぽつと空席が出始めた。
柏原を出てしばらくすると工事中の高架橋が現れ、福知山駅到着。

 高架工事がたけなわの福知山駅で6分停車する。
3分後に京都からの特急<はしだて1号>天橋立行が向かいのホームに
到着し、相互に乗換えが行なわれる。これをもって“ビッグ]ネットワーク”
となっている。しかも、山陰本線上り普通列車に乗れば綾部で舞鶴行の
特急<まいづる>に接続するなど、乗換えの労さえ厭わなければ非常に
便利である。

 特急<北近畿3号>からの乗換え客を大勢迎え入れて10時45分に
発車した。福知山は京都府北部・丹波地方の中心都市で、すべての方向
から人が集まる。列車は福知山線内よりも乗客が多く、車掌が2度目の
車内改札をする始末。乗換え客は京都〜豊岡などの“通しの特急券”で
いいと特例が認められている。

 市街地を離れて丹波路を駆ける。
先日の台風14号で稲が根こそぎ倒されている。農家の人たちが
コンバインをあきらめて手作業で狩り獲っているところもある。
上川口、下夜久野、上夜久野を通過し、梁瀬で京都行特急<きのさき>
とすれ違う。そして国道と交差して播但線が近づいてくると和田山着。

 水田と低い山並みが続く中を八鹿、江原と進む。
但馬から丹波への山間である。この辺りは鹿や猪による農作物の被害が
あるところ。狛犬の代わりに狼を社前に並べた養父神社というのもあった。

 市街地が現れると11時39分、豊岡に着く。田んぼの中に“鞄の豊岡”
という看板があったぐらいの鞄の町である。豊岡は霧雨の多いところで、
快晴の日は1年に10日ぐらいしかない。「弁当を忘れても傘を忘れるな」
という言葉があるという。今日は晴れているとは言えるだろうか。

 豊岡は但馬地方の中心都市で、乗客の半分以上が下車。
なかなか北近畿地方は人の流れが複雑なようで、JR西日本は乗客を
さばくのに苦労しているみたいだ。豊岡を発車すると玄武洞を通過し、
城崎川に沿って走る。地形が険しくないせいか、ゆったりと流れている。
温泉街が見えたかと思えば、放送が入って終点・城崎温泉に着いた。



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76.餘部鉄橋

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最長片道切符の旅・24日目
75.北近畿
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