備後落合に戻る。

 なんという駅だろうか。と思う。穏やかな気持ちになってベンチに
荷物を置き、ホームを歩きたくなる。広い構内を持つが寂れた様子で
周囲は山に囲まれている。「駅」というものは、こんなところにあってこそ
駅なのだと、そんな気分にさせてくれる。

 山々には靄がかかり、ディーゼルカーがぽつんとたたずむ。
かつては芸備線と木次線の接続駅として栄えた駅である。いまやこのように
さびれてしまったが、その栄枯盛衰など関係ない様子で小鳥が囀る。
鈴虫の声も聞こえる。

 この駅が好きになった。
北海道・宗谷本線の音威子府駅と肩を並べるくらいである。
備後落合という響きももちろんいい。ひとりぼっちだった芸備線から
またひとりぼっちの木次線に乗り換えたとき、この駅まで1人でやってきて
また1人で列車に乗ろうとするときに、自分は旅をしているのだと思った。
たまらなく気分が高揚したのである。
この駅に自分という人間が現れて、乗り換えていったのを知っているのは
運転士と、備後落合駅だけなのである。

 駅の待合室には旅ノートが置いてあった。
ここを訪れた人のために置かれているノートである。自分も書き込んでおく。
いつかまた、この駅を訪れるのではないかと自分でも思う。
そのときの自分のために書いておこうと思う。
最長片道切符の旅をしている自分が何を考えていたのか、それを足跡として
この駅に残しておきたいと、そう思う。
この駅を訪れる人に見せたいのではなく、自分のために書く。

 すると、“9月13日・最長片道切符の旅”とあった。
新見行までの乗り継ぎ時間が長すぎると書いてある。秋田県の横手駅
(6日目)で途中下車印をもらったときに、いっしょに駅員に手渡した
あの人だろうと思う。たしか8月19日だった。
今日からちょうど1ヶ月前になる。

 そうか、彼も来たのか。
と思った。ここを訪れたのは6日も前だから今頃もう九州ではないか。
もう最長片道切符の旅が終わっているかもしれない。稚内駅でぼくが
切符にはじめて印を入れてもらったとき、駅員さんは「またこの切符?」
とも言わなかったから、ぼくのほうが出発は早いのだろうと思う。
どこかで追い抜かれてしまったらしい。夏から秋への季節の移り変わりにも
追い越され、別の旅人にも追い越されてぼくは何をしているのかと
考え始めた。いまは考えてもしょうがないのかな・・・。

 いつか見えてくるのかもしれない。
もう十分に見えているのかもしれない。

 木次線の列車から5分で乗り継ぐ。
6時間前に訪れたときとは、うってかわって人がいるではないか!
「トロッコ列車・奥出雲おろち号」が運んできたのだろう。
この14時過ぎは1日の中で備後落合駅が最もにぎわう時間である。
新見、木次、三次の3方向から列車が集まり、もと来た方向へと
折り返していく。すべて1両のワンマンカーだから人の数など
たかが知れているのだが、静寂ではない。

 三脚を木次線の列車の中に忘れたらしく、運転士が届けてくれた。
大変ありがたい。3日前は旅日記を車内に忘れてJRに迷惑をかけたばかり
というのに、まだ忘れ足りないらしい。今後気をつけなくては。

 三次行が発車したのを見送ってから、こちらも発車する。
14時03分発に備後落合駅をあとにすると、比婆山から続く急勾配を上る。
やはり時速20km制限の急峻な崖の下も走る。

 川が消えて、左側に中国山地の最高峰・道後山が見えると
一気に視界が開けて深い山々が連なっているのが見えるようになる。
切通しを抜けると芸備線の最高地点に達してエンジンのこもりがなくなる。
そして道後山駅に到着。

 民家が点在するだけの小さな駅である。
発車するとエンジンは唸ることなく軽やかに下る一方である。
14時20分に小奴可に着く。備後落合からこの小奴可までが芸備線で
最後に開通した区間。備中と備後の境界で、県境にも程近い。
このあと、内名、備後八幡、東城の順に停まる。

 芸備線の備後庄原から備中神代までの間は
沿線でも最もひなびたところである。その様子は日本中の車窓の中でも
比類なきものと思う。人跡未踏の地なら北海道にいくらでもある。
そこには荒々しく雄大な自然の姿があるが、ここは違う。
人々の営みがある山里なのである。風景は美しいに違いないが、
他と比べると特に見るべき絶景もなく、観光目的の対象にはなりえない。

 だが四季を通じて人々が生活し、
民家も田畑も尽きることなく続いている。荒涼とした北海道の大自然とは
違い、繊細なものを感じずにはいられない。冬に来たら、どんなにか
人の温もりを感じられる土地なのかと思う。

 道後山の分水嶺を越えたので、川の流れる向きが変わった。
西城川などの江の川水系から、昨日の高梁川の水系に移ったのである。
東城、野馳、矢神、市岡、坂根とそれぞれ2人ずつぐらい乗客を集める。
もしかしたら、この人たちが芸備線を使わなくなる日が来るのではないかと
疑心暗記する頃、左手から伯備線が近づいてきて15時11分、
備中神代に着いた。




85.ひとりぼっちの芸備線

  三段式スイッチバック

  奥出雲の延命水

87.布原信号場

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最長片道切符の旅・26日目
86.備後落合駅
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