9月21日(水)

 朝5時に起きる。
しかし二度寝をしてしまって、バタバタと準備して駅に向かう。

 寝ぼけ眼のまま改札を抜けると、駅員どのが
「お気をつけて、よい旅を!」
と言ってくれた。いつかまた来ます。
お礼の言葉と一緒に言い残して
3番線に停車中の備後落合行ディーゼルカーに乗り込む。

 2日前と同じ列車だが、今日は天気がいい。
しかも平日なので、乗客がぼくだけということはなく、
高校生と地元の人が乗っていた。
6時45分に発車する。

 最長片道切符のルートから外れるけど、
2日前に通ったときに気になる駅があった。
7時15分着の備後庄原駅である。
農産物の集散地だった駅で、少々広めの構内。
1番ホームの端は切り欠き式になって錆びついた
線路があり、駐車場と隣接している。
どう見ても貨物列車が発着していた駅に特有の構造だった。

 駅員がいた。
委託されているのだろうか。三次からの切符を渡し、
新たに三次までの切符を買って、ホームに立つ。
古いが趣のある駅だなと思う。
東の空は少し曇っていたが、太陽光線が雲間から
差し込んでくる。ホームのベンチのところだけが明るい。





 ここで急行列車を待つのは正解だと思う。
長い旅の途中であるはずなのに、いまからまた旅が始まろうか
という高揚感に包まれる。列車を待つ人がいるのに静かだ。
7時45分、山々へと続く線路の彼方から
“プワ〜ン”という警笛が聞こえた。何だか懐かしい音。
7時45分発の急行<みよし1号>広島行である。

 芸備線の急行<みよし>は、国鉄の急行型車両を
使用した最後のディーゼル急行である。
何度も乗ったことのある車両だけど、やはり好きだ。
一昔前の鉄道旅行においては必ずお世話になった車両である。
塗装以外は昔のままで使われ、すべてボックスシート。
それぞれの窓にテーブルも備えられている。
デッキとの仕切りもあり、快速や普通列車に使われる車両とは
一線を画している。

 備後庄原を発車した<みよし1号>は三次まで
普通列車として運転されるので、各駅に停まっていく。
列車が通るとススキがざわめいているのがよくわかる。
窓が開けられる車両はつくづくいいなと思う。
芸備線は地味だが、山里の風景に彩られるいい路線である。

 8時13分、三次に着く。
ここから最長片道切符のルートに戻る。
それに呼応するかのように急行列車へと変身し、高校生は降りる。
入れ替わりに広島へ向かうと思しき人たちが乗ってきて、
まったく別の列車のような雰囲気になった。

 8時15分に三次駅を発車した。
先頭の方では交代した運転士が敬礼している。
床下からは古く重々しいエンジン音が聞こえてきた。
三江線と分かれて進路を南にとる。
西三次、志和地、上川立を通過。右手に現れるのは
昨日たどってきた江の川(広島県内では可愛川)である。

 三次盆地は鵜飼で有名な水郷である。
3方向から川が集まり、残りの一方向に流れ出していく。
交通路の母たる河川が集まれば、その子たちも集まる。
可愛川と西城川に沿って東西から
芸備線、馬洗川に沿って福塩線、そして集まった水は
三江線とともに中国太郎で名高い江の川となって日本海へと
流れ出してゆく。

 8時32分、甲立に着く。
横のボックスに母子連れが乗ってきた。
昔の自分を思い出す。20年ぐらい前になるだろうか。
家族で南九州に向かう列車の中だった。
同じように急行列車で、九州山地を越える列車に乗っていた。
おそらく博多発宮崎行の急行<えびの>である。
ボックスシートに5人。
窓側に兄2人が向かい合って座り、ぼくは母親に抱っこされて
通路側に座り、向かいには親父が座っていた。
同じように抱っこされている子供がいて、“プワ〜ン”という
警笛が聞こえてくる。

 懐かしくなった。
決して過去を振り返ろうとしているわけではないが、
乗る列車乗る列車が昔の自分を見せているようでいけない。
それでも感慨に浸ってしまうのは、そうやって自分の中の何かを
思い起こさせるものが鉄道にはあるからに違いない。

 甲立を出て吉田口を通過し、向原に停車。
さらに井原市を過ぎて志和口に停まる。
本当に懐かしいディーゼル急行だ。
これに乗りたくて三次で一泊したようなものでもある。
いつしか太陽は高々と昇り、まぶしいほどに輝いている。

 車内改札がある。
最長片道切符と急行券を見せるが、「乗車券は?」
といわれてしまう。他の人にも見られてちょっと気恥ずかしい
思いをする。特殊ではあるが、切符は切符であるのに。
恐縮しながらも車掌どのに納得してもらう。

 <みよし1号>はエンジン音も高らかに広島を目指す。
志和口からは広島市内に入っており、芸備線が
広島近郊路線として機能している様子が伺える。
その手前には小さな分水嶺の峠があり、
江の川水系から太田川水系に変わった。

 三次から乗った人は少なめだったが、
途中の甲立、向原、志和口からの乗客で、ボックスはすべて
埋まっている。どうも高速道路のルートが関係しているらしく、
三次からは広島を目指す人は高速バス、
広島で新幹線に乗り継ぐ人は急行<みよし>を使うらしい。
広島のバスターミナルと広島駅が離れているために、
利用者の棲み分けがきちんとできているとか。
おかげで途中駅からは<みよし>のほうが
便利ということになっているわけである。

 上三田、中三田、白木山、狩留家、上深川、中深川、
下深川を通過して広島の市街地に入る。右手に見える土手は
太田川のものらしい。玖村、安芸矢口、戸坂、矢賀を通過すると
左から新幹線の高架橋が近づいてくる。
さらに広島の車両基地も広がって、“アルプスの牧場”の
オルゴールが流れる。
「広島行、急行みよし1号ご利用いただきまして
ありがとうございました。」と締めくくられて、
9時24分に終点・広島駅9番線へ滑り込んだ。

 備中・備後を貫いて、
いろいろな風景と人に出会えた芸備線の旅も終わりである。




91.0番線旅情

  広島都市圏

  造船の町

93.たそがれの山陽路

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最長片道切符の旅・28日目
93.最後のディーゼル急行
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