呉線を乗り終えた後、三原から山陽本線で西へ向かう。

 今日の最長片道切符のルートで言えば、新山口まで行く。
幸い、13時52分発の快速<シティライナー>は広島方面の
新山口行である。4両編成の電車が入線してきたが、何か変である。
車体側面に瀬戸内海と魚たちが描かれている。これもアピールかと
思いつつ、境線の“鬼太郎列車”を思い出す。このような列車が
周囲の景観に融け込むかどうかは甚だ疑問である。

 やっと進行方向に向かって座れた。
2人掛けのシートでお好み焼きを開封する。さすが広島と言いたくなる
ような“カープソース”なるものをかけて食べる。大阪には
“タイガースソース”なるものはない。関西の人に言わせたら、
「お好み焼きと阪神は別物や!」とでも言われかねない。

 広島駅ビルにお好み焼き屋が並んでいて、
満杯の店もあったが、そういう店は雑誌で紹介されているからだろうと
想像がつく。「うまい!」と紹介されただけで“右にならえ!”の姿勢を
とる日本人の悪い癖である。本当にうまいものは自分で地元の人に
訊くのがいい。

 ぼくは最初からうまいものを食べようとしてもしょうがない
と思う気質なので、主人の威勢がいい店を選んで、持ち帰りを注文した。
思ったとおりに丁寧な包装で手渡ししてくれた“よっちゃん”という店の
お好み焼き。うまかった。ボリュームもあって腹十分まで満たされる。

 大阪と広島のお好み焼きの違いは
焼きそばが入っているとか、クレープのように生地に包まれているとか
いうが、ぼくは“大阪ならおかず、広島なら主食”と解釈している。
こうすれば大阪の人がお好み焼きをおかずにご飯を食べられるのも
理解できるし、広島のお好み焼きにそばが入っているのもうなずける。
「お客さん、そば入れますか?うどん入れますか?」
と訊かれたときには正直驚いたが・・・。今度広島でお好み焼きを
買うことがあれば、うどんにしてみよう。

 三原を出ると、沼田川に沿ってくねくねと曲がる。
川の流れのままに右へ左へとカーブして新幹線とは直交する。
沼田川の流れが細くなると耕地が開けて、なまこ壁の民家が目立つ
ようになる。この辺りの中心都市は西条で、酒の町である。
レンガを四角に積んだ煙突や、白壁の酒蔵が見えた。

 快速<シティライナー>は“西の箱根”と呼ばれた
瀬野〜八本松間10.6kmの峠“セノハチ”を下る。蒸気機関車時代は
すべての上り列車が麓側の瀬野に停車し、後押しの機関車を連結した。
後押ししながら急勾配を上って八本松にさしかかると、走りながら
切り離されて瀬野に戻った。瀬野は信越本線・横川駅のような
強力のたむろする峠の宿場であった。それも今はなく、貨物列車のみ
後押し用の機関車が必要で、瀬野ではなく広島で連結されている。

 広島市に入って14時55分、広島着。
ここから最長片道切符のルートに戻る。5分停車の間に、ローカル線の
ように客も少なくてのどかだった車内が混むようになった。
15時ちょうどに快速電車・新山口行として発車する。

 広島を出るとまもなく、太田川を渡る。
新幹線の高架橋に視界を遮られ、高架橋の真下にある横川に着く。
さらに西広島、新井口、五日市の順に乗客を降ろして快速運転に入る。
左に寄り添ってきた広島電鉄の電車などはあっさりと追い越し、
宮島口、岩国の順に停まる。
しかし、お好み焼きに満足したぼくはうとうとしてしまう。

 岩国から先は空気を入れ換えたようにすっきりして
安芸の海と瀬戸の島々を望みながら海辺を走る。山陽本線は
瀬戸内海沿岸を走る路線だが、線路はほとんど山間に敷設されていて
海の見える区間は須磨〜明石、尾道〜三原、広島〜柳井、光〜防府
ぐらいである。戦後に山陽特急<かもめ>が運転されたときは、
口の悪い人が<かもめ>ではなくて<からす>だと言ったくらいである。

 その中でも岩国以西、由宇、神伏、大畠と続いて
波打際を行くので山陽本線で最も眺めのよい区間である。
岩国から徳山までの区間は現在の岩徳線が山陽本線であり、
いま走っている路線は柳井線といった。これも鉄道変遷により、
格差の広がった区間である。

 しかし、通りなれた区間であるから眠ってしまったぼくは、
田布施、岩田、島田、光、下松と停まって高校生で騒がしくなってから
やっと目を覚ましたのである。気が付いたら右側から岩徳線が合流して
櫛ヶ浜に着いていた。新幹線高架下の徳山では5分停車する。
今日はあまりいいところがない。

 左に続く徳山のコンビナートなどは、
ひなびた芸備線から乗り継いでくると劇的に思える。産業の違いを
はっきりと見せられる。銀色のパイプやタンクの並び方は複雑を極め、
こんな迷路を通さねば原油を精製できないのかと思う。しかし、
いかなる現代彫刻もこの迫力には及ぶまい。

 徳山から貨物ヤードの広がる新南陽を過ぎ、
戸田を出ると再び海が広がる。瀬戸内海というよりは周防灘である。
先ほどの由宇〜大畠と同じく、山陽新幹線では絶対に拝めない車窓だ。
東京からの夜行列車に乗って朝目覚めると、この風景が広がっている
ことはよくある。前夜旅立ち、朝起きて自分が旅をしているときの感動は
唯一無二のものと思っている。
ここから眺める朝日がぼくは一番好きである。
太平洋の雄大さ、日本海の荒々しさともかけ離れた瀬戸内海の
穏やかさを象徴するような美しい朝日がここでは見られるのである。
富海という駅があるが、こういう風景に由来した地名ではないかと思う。

 大道、四辻を過ぎて、17時30分に終点の新山口到着。
今日の最長片道切符の旅はここで終了である。今日はこのまま西進し、
福岡に帰省しよう。お金がないのである。
そこはやむを得ない事情というほかない。

 向かいに停車中の各駅停車・下関行に乗り継ぐ。
この車内で最寄駅である福間までの切符を買う。が、事情を説明しても
車掌どのはわかってくれない。明日は新山口から日本海側を回って
下関・門司・小倉で下車すると言うと、
「小倉から福間までの乗車券でいいんじゃないですか?」
と言う。そうではなくて、今日は新山口で途中下車扱いにしてほしい
と言うと、「どうやって乗ったんですか?」
とうまくやりとりが進まない。仕方なく最長片道切符を見せて、
時刻表でルートを説明するとわかってもらえた。

 そのあと、車掌どのは最長片道切符を
しげしげと見ながら経由地を口にしはじめた。
「いろいろな切符を見てきましたが、こんなのははじめてです。」

 そして切符を発券してもらうときに気付いたが、
車内発券でも学割証が使えることを知った。てっきり窓口で
購入するときのみと思っていたので、今度から持ち歩こう。
「お気をつけて!よい旅を!」
と、下関駅で言ってもらう。礼を言うと、
「九州方面は8番のりばですからね。」
と返ってきた。こういった親切で馴染みやすい車掌さんがいる
JR西日本も明日で最後かと思うと、わびしくなる。

 門司で九州に上陸すると、東京行の夜行列車とすれ違った。



93.最後のディーゼル急行

  広島都市圏

  造船の町

95.ボックスシートに囲われて

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最長片道切符の旅・28日目
94.たそがれの山陽路
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