1両のディーゼルカーはぶるぶると身震いをして山口駅をあとにした。

 上山口、宮野と停まり、急勾配を上り始める。
途中の仁保トンネルの手前にある二歩駅に停車。
サミットを越えて10時31分に篠目駅に着く。蒸気機関車時代の
レンガ積みの給水塔が残る無人駅である。ススキの穂が揺れていた。

 今日は山陽本線のような大幹線に乗ってここまで来たので
ローカル線の趣が強く感じられる。線路の響きからしてのどかだ。
駅舎もひなびたたたずまいである。山口以北は民家も減って
ようやくローカル線に入ったな、という気分になり、なごめる。
ディーゼルカーがゆっくり走ってくるからそうなるのだろうか。
時間の流れ方と景色の流れ方、線路の響き方が違うと、
そうなってしまうものだろうか?

 峡谷が近い長門峡を過ぎると渡川、三谷、名草、地福、鍋倉、
徳佐に停まる。この辺りはのどかな山里そのものである。
芸備線沿線にそっくりだが、観光地・津和野と県都・山口に挟まれて
いるという点で、道路の交通量が決定的に違っている。
しかし、線路に沿っては稲刈りを終えた水田がずっと続いている。

 船平山で母子連れが降りた。
どこかで見たような光景だと思うのはいつものことだろうか。
鉄道で旅をするとこんな風景はよく目にする。バスや自動車で
異郷をさすらったところで、楽しめる風景など限られていると思う。
それが旅の魅力だと思っている。

 船平山を発車すると、山口線の最高地点を過ぎる。
低い分水嶺のトンネルで県境を越えたら、津和野盆地を見下ろす。
細い谷底に津和野の街並みが静かにある。石州瓦になっているので、
石見の国に入ったことがよくわかる。反対の山肌に津和野稲荷が
あり、鳥居の並んでいるのが見えた。津和野の街並に下りると、
11時16分津和野駅につく。

 フルムーンの夫婦とここで別れる。
改札を出て行く様子を見送ると、手を振ってくれた。
津和野は小京都である。過労屋敷の塀に沿って掘割がある。
農村にあるような用水路は大きなウシガエルがいたりするが、
それと違って鯉が泳ぐ。森鴎外の旧居もある。

 2分停車の後に発車する。
この津和野までは“SLやまぐち号”が走っているせいで、駅名板が
右書きだったり改装されたりしていた。いま動態保存されているSLは
イベント性が強くて剥製を見ている気にもさせられる。動物園の動物を
見るのと同じで、野性的なものを感じさせない気がするのである。
それでも静かに眠るよりはいいのだが。
蒸気機関車自身はどうしてほしいのだろうか。

 そんな動態保存のSLのおかげで、山口線を訪れる機会に
何度も恵まれた。小学校の“鉄道旅行クラブ”で山口線を提案したのは
クラブの部長だった当の自分である。家族で来たこともある。
それこそ山口線はぼくにとって馴染み深い路線なのである。
親父に肩車されながらSLを見ていたターンテーブルを左に見ながら
津和野駅をあとにする。

 日原川を渡り、青野山に停まる。
日原、青原、東青原と停まるうちに、日原川が寄り添ってくる。
平野部が近いことがわかる。水が澄んでいてきれいだ。
路地裏のドブだって澄んでいて、ドブという表現をするのが申し訳ない。

 野菜を洗う人がいる。
実家の裏の畑で仕事をしていた曾祖母のことを思い出す。
90歳を過ぎても畑仕事をする元気な曾祖母だった。
そんな元気な曾祖母が好きで、小学校の図画工作の版画の絵に
畑仕事をする姿を描いたことがある。
手はもちろん、顔も笑うとしわくちゃだったから難しかった。

 もっとも、水がきれいだ感心するのは都会の人間だけである。
本当なら、水はどこに行ってもきれいなはずである。
飲める飲めないだの言うのは人間のエゴに過ぎない。

 こういった風景に出会うと、いろいろな思い出が錯綜する。
今朝乗った新山口行の普通電車で言われた言葉、
「旅先に思い出を残し、旅をしながら過去を思い出す」
という意味がわかった気がした。
同時に、戸狩野沢温泉の旅館の息子さんの言葉、
「本当にいい旅をしている」
の意味がようやくわかった気がした。
思い出に出会う旅・思い出をつくる旅だったのだ。

 そうかと思った自分は何だかすっきりして眠ってしまう。
今日は天気がよく、ぽかぽかして気持ちがいい。
気が付くと終点の益田に着くところであった。




95.ボックスシートに囲われて

97.列車という名のゆりかご

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最長片道切符の旅・29日目
96.思い出に出会う旅
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