彦山駅からは下り勾配に入る。

 谷は狭く、棚田1枚の面積も小さい。
畳1枚分あるだろうかというものもある。耶馬溪などの渓谷も近いようだ。
豊前桝田を過ぎて谷が開けるところに添田がある。
ここからはかつて添田線が分岐していた。

 添田線は田川伊田や後藤寺を通らず、彦山川に沿って
人家の少ないところを走るバイパスルートだったので大赤字路線だった。
日本一の赤字路線だったこともあり、そのときの営業係数は3800円ぐらい。
すなわち、100円の収入を得るのに3800円の支出が必要だった。

 その国鉄添田線には1度だけ乗ったことがある。
廃止直前だったが、日田彦山線のホームに斜めに進入するため、
駅構内が三角形になっていた。おまは跡形もない状態で、当時の面影も
もちろんない。高校生が大勢乗ってきた。

 西添田の次、駅員の迎える豊前川崎駅からは上山田線が
飯塚へ向けて分岐していた。この筑豊エリアは“筑豊炭田”があったおかげで
まさに網の目上に国鉄の線路が敷かれていた。その複雑極まりない様子は
東京以上であり、国鉄の列車ダイヤ設定も相当なベテランでなければ
そのスジを引くことはできなかったと言う。

 池尻を過ぎて、16時33分にこの地区の要衝・田川後藤寺に着く。
1つ北の田川伊田駅と同じく、ホームは少ないが大きな駅である。
石炭輸送でにぎわった駅に特有の広さであり、今の世の中では“がらんどう”
という言葉がふさわしいかもしれない。貨物用:旅客用=2:1ぐらいだ。

 筑豊本線と日田彦山線を2つの軸にして
直方から田川伊田まで伊田線、伊田線の金田から田川後藤寺まで糸田線、
田川伊田〜行橋で田川線、田川後藤寺〜新飯塚で後藤寺線、豊前川崎〜
飯塚で上山田線、上山田線の下山田〜下鴨生で漆生線、他に盲腸線で
勝野から宮田線、中間から香月線があった。最初の3つは第3セクター
平成筑豊鉄道として再出発している。他は後藤寺線を除いて廃止された。

 89番目の路線・日田彦山線の旅を終えて、90番目の後藤寺線に入る。
途中下車印をもらう。田川後藤寺とはいかにも要衝らしい名だと思う。
0番線に行く。ホームのはずれにあり、2両分ぐらいの長さしかない。
広い構内とは対照的にひっそりとしている。

 新飯塚行普通列車は16時42分に発車した。
1両のディーゼルカーは、右に平成筑豊鉄道・糸田線と日田彦山線を分けて
市街地を見下ろす土手を走って船尾に着く。目の前にある石灰岩の山は
削り取られ、岩肌を露にしている。炭坑節にも歌われたりしたのだろう。
石灰岩採掘のために、山肌は削り取られて無残な姿になっている。
何年か前に見たことがあるが、そのときとそれほど姿は変わっていない。
数年ぐらいでは山の形を変えるほどには至らないということだろうか。

 セメント工場のある船尾を出ると筑前庄内、そして下鴨生で
田川後藤寺行とすれ違う。漆生線が分岐していた駅だがやはり跡形もない。
上三緒に停車して終点・新飯塚に着く。筑豊本線と日田彦山線を結ぶ
唯一の路線となった後藤寺線を乗り終えて、ここからは91番目の路線・
筑豊本線に乗り換える。

 快速電車を待つ間、変貌したこの駅の姿に驚く。
古びたホームも駅舎もかさ上げが施されて建て替えられ、非電化だった頃とは
比べ物にならないほどにきれいになった。篠栗線・筑豊本線電化後では
今日がはじめて乗ることになる。こんなホームにはボタ山の風景や
炭鉱で働いた坑夫たちの姿は似つかわしくない。いや、逆にホームと駅舎が
似つかわしくないのである。これでは居場所を失ってしまいかねない。

 ボタ山ですら普通の山に見える。
炭鉱都市・飯塚の象徴的な山として知られるが、草も生えるらしい。
カビが生えたみたいに色が違っている。
4両編成の快速電車は新飯塚駅をあとにした。

 淡々と走っている。
浦田、鯰田、小竹、勝野と広い構内を持つ駅に停まっていく。
この地方に石炭のみならず、“水運”をもたらした遠賀川を渡る頃、
車掌どのが巡回に来た。チケッターで捺印をお願いすると、
「直方で押します」との返事が返ってきた。
車掌なのにチケッターを持ち歩いてないらしい。
どこか間が抜けてやしまいか。

 広い構内の直方駅に着く。
向かいに停車中だった小倉行普通列車には乗らずに途中下車印を
もらいに行く。先ほどの車掌は列車の最後尾で待っていてくれた。
こちらが急いでいたらどうする気だったのだろうか。
東筑軒のうどん屋が湯気を立てていた。
折尾を中心としたこの地区に店を出す、かしわめし弁当の老舗である。
食べずにそのまま17時47分発の折尾行普通列車に乗る。

 石炭輸送用のディーゼル機関車が何十両と置いてあった構内も
電車とディーゼルカーが数量おいてあるにすぎない。さみしくなったものだ。
発車すると右手に見えてくるはずの直方気動車区はさら地と化していた。
九州最大のディーゼル基地も消えて、アミューズメント施設になっている。
驚きを隠せるはずがない。ずいぶんと変貌してしまったものだ。

 新入駅の次の筑前植木では、真ん中のホームが昔の姿のまま
残っており、まばゆいばかりのかさ上げされたホームとは対照的だった。
鞍手、筑前垣生、中間、東水巻と停まるうちに再び遠賀川を渡る。
上下線の間にレンガ積みの橋脚が残っており、石炭輸送でにぎわった頃を
かろうじて偲ばせてくれている。まるで室蘭本線のようである。
夕張と石狩の炭鉱を背景にしていたから、たどった運命は同じであろう。

 鞍手は元々筑豊本線の駅ではなくて、遠賀川駅から分岐していた
室木線の駅だった。室木線廃止時に、町内から駅がなくなるということで
筑豊本線に同名の駅を誕生させたらしい。

 黒崎方面への連絡線と分かれて、折尾駅2番線に着く。
ここはうれしいことにほとんど変わっていなかった。折尾駅は九州ではじめて
立体交差を実現した駅であり、壁も通路も昔からのレンガ造りである。
他の駅と比べて薄暗く感じてしまうかもしれないが、東京駅とてそれは同じ。
歴史があるからだ。

 今日は折尾から福間を目指すだけだが、筑豊本線の若松まで乗ってみよう。





107.筑後吉井駅

109.東筑軒

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最長片道切符の旅・32日目
108.ボタ山の見える駅
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