9月28日(水)
今日は最終日。
何日旅をしてきたのかはわからない。
30日以上になることは確実と思って、カレンダーを見ながら数えると
大阪駅から旅立った8月12日から数えて48日目だった。
最後の日は客車列車で旅をしようと思う。
福間発5時23分の博多行普通列車に乗る。
これも始発列車。その土地の1番列車に乗るのも何度目だろうか。
稚内、網走、新得、比羅夫、秋田、天童、新潟、佐野、名古屋が2回、
富山、姫路、三次も2回、米子、大分、鹿児島中央、そして今日の
福間で計19回になる。夜明けの時間が好きだからと思えば
決して気違いではなかろう。
隣の3番線を熊本行の寝台特急<なは>は駆け抜けていった。
そのあとに続いてゆっくりと動き出した列車は、5時52分に博多に
着いた。すでに空は白んでおり、夜明けを迎えようとしている。
8番線に<なは>と同じく赤い電気機関車が牽引する列車が
入線してきた。6時05分発の寝台特急<あかつき>長崎行である。
この時間を走るにふさわしいブルートレインの名だ。寝台専用だが、
座席指定のレガートシートが14号車に連結されている。
グリーン車よりも深く座席が倒れるから、ぼくは好んで使うことが多い。
博多を発射する時にゴトリと揺れる。
さすがに客車列車だなと思う。電車とは決定的に乗り心地もスピードも
違うが、趣がある。昔懐かしい。
車掌どのが特急券の拝見に来た。
見せると乗車券の確認は行なわずに、指定券だけで終わってしまった。
最後の日なのにと思う。指定席特急券は、先日の筑後吉井駅で
発行してもらった手書きの指定券であった。窓口で<あかつき>の
指定券を購入したいと言うと、仲良さげな駅長と助役が、
「あかつきあかつき。ん?14号車レガートシーとあったあった!」
と言って電話をかけだした。マルスの端末がない駅だったのである。
「あーもしもし?筑後吉井駅ですけどね。9月28日の寝台特急
<あかつき>、博多6時08分、長崎まで大人1枚です。」
5分後に電話がかかってきて、
「とれた?はいはい。はい。はい、ありがとう。」
「とれたそうです。すぐに切符をお作りしますね。」
という具合だった。まるで昭和の駅。マルスを押せばピッピッピッ!と
指定券も特別乗車券、企画券を発行できる世の中なのに、
わざわざ電話をしてお客さんを待たせたのである。いまどきのように
発車10分前に指定券をとったりするようなものではなく、
世の人はもっと余裕を持って出かけていた時代のものだった。
それがいまや便利であることが当たり前のようになり、不便であることを
不満に思って、人々はわがままを言うようになった。不便と感じるのでは
なく、他が便利すぎるというのがわからないらしい。自分に合わせず、
相手に合わせることを知らない人たちが増えた。
と、便利な世の中で不便だった頃の話をしても仕方ないのだろうが・・・。
駅長と助役の笑顔が忘れられない。
米原と同じく交通の要衝である鳥栖から長崎本線に入る。
気が付けば93番目の路線である。佐賀平野に入って6時52分、
佐賀駅に着く。ここから最長片道切符の旅の続きとなる。
諫早への通勤客が乗ってきた。14号車のロビーでくつろいでいると
話しかけられて、また話が弾む。三脚とカメラと時刻表を持って歩く
というのはそういう風体なのだろう。
最後の日といえども一期一会。
1つの駅、1つの列車、1つの路線にそれぞれに根付いた人たちがいる。
そこを訪れること、その列車に乗ることは決して無意味なことではない。
夜は明けている。
鍋島、久保田、牛津と通過し、肥前山口駅に着く。
ここは長崎本線と佐世保線という、共に西を目指す幹線が分岐する駅。
その要衝ゆえに最長片道切符の行先となっている。
もう一度ここを訪れるときがこの旅の終りとなる。
いよいよかという気になって肥前山口駅をあとにした。
112.鉄道の町
114.あかつきの空
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