「稚内からかぁ〜!」

 早岐から乗るのだが、その場合はこの駅の停車時間が短いので
先に途中下車印だけもらっておきたいという事情を説明すると、
「これは・・・」と沈黙が続いて以上のように驚かれた。

 反対側から松浦鉄道の人も出てきた。
よく見るとこの改札口は片方がJR九州、もう片方が松浦鉄道の
ものだった。駅の案内放送は松浦鉄道の改札で行なっていたので
首をかしげたのだが、それどころではなくなった。

 JRの改札に立っていたのは灰色の制服だったから
駅長だと一目でわかった。筑後吉井駅と同じである。他の人も
交えて話がだいぶ長くなった。次の列車まで時間があるから
何も気にしてはいなかったが、
「これは財産になるよ。」
という言葉に、はっとする。お金と時間と自由がなければできない
旅であったが、終わった後に残るものはお金では買うことの
できないものとなる。

 それに気付いて、そうか。そうなのか。と思っていたら
「ちょっと待っててな。」
と駅長どのに言われて、奥に入ったのを待つこと数分。
色紙をもらう。直筆で“一期一会”と書かれていた。
聞けば以前は佐世保駅の駅長をしていたという。
佐世保駅の改札付近や階段に掲げられていた筆書きは
この駅長殿のものと知る。JR最西端の駅には違いないが、
アピールが少々おとなしかったことや、最西端の碑が
わかりづらかったことも言い出しにくかった。

 記念入場券の類もなかったように思うので尋ねると、
佐世保には九十九島の入場券しかないとのこと。平戸口のように
大きな顔はできなかったらしい。JR九州の特急列車の下敷きや
松浦鉄道の“百回目の陶器市”という記念入場券ももらう。

 最後の途中下車駅で「ようこそ当駅で降りてくださった」
と言わんばかりの手厚い歓迎を受けていると、駅長殿から
切符入鋏用の鋏をいただく。いまではスタンプ式となっている
チケッターだが、国鉄時代は本当にパチンと鋏を入れていた。
佐世保線の有田駅が明治30年に長崎本線として開業して以来
100年使われてきたものという。

 随分と使い込まれた年季を感じる。
輝きもあって、新しくも見える。いまにも使えるものだろう。
線路と違って錆びないのだなと思った。
金属の鋏はいつしかスタンプ式に変わり、自動改札になった。
切符というものが人の手によるものから機械式に発行される
ようになったのと同じである。人の数を捌かねばならぬ都市部は
それでよかったのだろうが、元々人の温もりが切符にも鋏にも
あった地方の駅はどうなのかと思う。

 1時間以上を暖かく過ごした有田駅をあとにする。
職務上、列車到着の際は改札にいなくてはならないのだろうが、
窓口からでも最後まで見送ってくれた。名残惜しい。
“一期一会”と書かれた色紙には、
この旅のすべてが込められているのかもしれない。
特急<みどり17号>は定刻に早岐駅に着いた。

 最後の列車となる17時15分発の鳥栖行普通列車は
すでに4番線に入線済みだった。熱線吸収ガラスの一枚窓。
「もう旅も終りなのだ。車窓をもう楽しむことはない。観念しろ。」
ということなのだろうか・・・。肩を落として乗り込む。

 さほど人は乗っていないが、早岐駅を発車する。
快速<シーサイドライナー>でたどった大村線のつづきである。
三河内、有田に停まる。先程いた改札口では、高校生の対応に
追われていたらしい。駅長からいただいた鋏を見ながら
最後・95番目の路線が佐世保線でよかったなと思った。

 上有田、三間坂、永尾、武雄温泉、高橋と停まり、
六角川に沿って走る。いつしか夕日を背に走るようになった。
駅に停まる度に太陽の位置は変わる。特急に乗っていては
わかるまい。まもなく旅が終わろうとしている。

 正直に言うと、九州に入った時点で
最後には虚しくなるのではないかと不安に思っていた。
“奇行を為す”と呼ぶにふさわしいこの旅を終わらせることで
空虚がぼくを襲ったりしないかと心のどこかで思っていた。
そんな“奇行”を具現化した最長片道切符を見るや否や、
驚嘆したり感激してくれたりするひとがいてくれて、その人たちの
ぼくに対する言葉が、この旅に意味と彩を添えてくれる。

 18時過ぎ、まもなく日没という頃に肥前山口到着の
放送が流れる。テープによる案内はいつも無情だなと思いながら
18時06分、肥前山口駅にて下車。ドアが開いた時には
降りろということだなと観念してしまった。

 虚しくはなかった。
今朝通った長崎本線の線路が静かに現れたときも
終わるのかという気持ちが無性に高ぶってきていた。
改札に行って無効印をもらう。経由地の別紙に押してもらったあと、
「ゴム印は一応、券面に押さなきゃいけないんだけど、
押すところがないねぇ。」と言われて裏にもらう。
切符は力を失ったのだなと思って、しげしげと切符を眺めていると
「こういうのもあるよ。」
と別のゴム印を見せられる。“乗車記念・使用済”とあった。

 “無効・肥前山口”と書かれたものは9月いっぱいまでで
あと3日でダイヤ改正と同時に乗車記念印に変わるという。
危ないところだった。外に出て空気を吸ったあとに改めて
肥前山口からの切符を買う。

 改札を抜けてホームに行くと、肥前山口まで乗ってきた電車が
まだ停車中だった。特急電車を退避していたのだが、何か、
ぼくを待っていたようにも感じる。さっきまでとは違う切符で
乗るのもまた気分が新鮮だ。

 行先であった肥前山口駅をあとにする。

 最西の2つの幹線・長崎本線と佐世保線の分岐駅ゆえに
最北の稚内からの行先となった駅。
遠ざかっていくのを見ながら帰路に就いた。





115.ハイビスカスの花

   あとがきは悪あがき

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最長片道切符の旅・34日目 最終日 
116.最後の途中下車
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