佐世保発12時13分の伊万里行普通列車に乗る。

 国鉄松浦線として廃止される前に乗ったことを覚えている。
小学校に入る前だった。その頃とは大きく変化して新しく
高架になった佐世保駅をあとにする。市街地なのにトンネルが多い。
旧軍港佐世保の地形は入り組んでいる。佐世保中央などの駅は
山に貼り付いているのでおもしろい。トンネルの合間で線路が
市街の大通りを跨ぐ。弓張岳が見えている。

 なかなか街並が尽きないので居眠りをしてしまう。
起きたら佐々で後ろの1両を切り離すところだった。構内は広く、
側線の跡らしきものもある。石炭車の姿はない。蒸気機関車用の
給水塔や転車台はわからない。草に埋もれているのか撤去されて
いるかのどちらかである。いずれにしても廃墟には違いない。

 かつては松浦線からは4本の支線が出ていた。
しかしすべて廃線となった。そして松浦線も国鉄から廃止路線に
指定され、第3セクター化されて長崎県と佐賀県が経営を
引き継ぐ形となった。この佐々も臼ノ浦線の分岐駅であった。

 1両と身軽になったワンマンカーは、西を目指す。
北松浦半島の丘陵を走っている。だが車窓に映るのは佐世保炭田の
残骸ばかりのように思う。エネルギー革命からもう数十年の歳月が
流れて自然の山とわからないが、ボタ山もあるようだ。
ボロボロの家屋は無人の炭住だろうか。錆び付いた線路があり、
その間をわずかに輝く線路が伸びていて、そこをたどる。
赤錆びた線路が朽ちていて、こちらもわずか1両となると
さすがに気が滅入ってくる。廃墟はまだまだあるらしい。

 それとは関係もなく長崎県の海岸線は複雑だ。
対馬から五島列島までの島々を含めると、海岸線の総延長は
3700kmもあるらしい。他の線路ももちろん、松浦線の線路は
そんな海岸とは付き合えないから半島の内陸に分け入って
細い流れに沿って走っているのである。
もし海岸線を走ってくれたら絶景の連続だろうが・・・。

 木々の間からわずかにわずかに平戸島が見える。
九州本土との瀬戸に架けられた平戸大橋の赤いアーチがちらりと
見えて消えた。平戸は片鱗をわずかに見せただけであった。
そしてたびら平戸口駅に着いた。

 国鉄最西端の駅である。
いまでは沖縄のゆいレールなるモノレールに最西端と最南端の駅が
あるというが、1本のレールでつながっていることに意味がある。
飛行機か舟を介さねばならぬ以上、西大山や東根室、稚内のような
果ての旅情があるかどうかは疑わしい。その場所に鉄道で行きたい
と常々思っている。

 だからとは言えないが、改札口の脇には「日本最西端の駅」と
大書きしてある。東経129度35分。最東端の東根室とはちょうど
16度の違いがあり、時差は1時間4分に相当する。
これだけの距離を鉄道でたどることに意味がある。
過去の青函連絡船のように、鉄道連絡船の旅情も捨てがたいが。

 駅員が敬礼で列車を迎えていた。
この駅はどことなく温もりがある。モノレールとは違い、
光り輝くレールがある。大きく西へ弧を描く途中にある駅なので
発車すればすぐに進路は北西から北東になる。

 海が見え始めた松浦駅で5分停車。
ホームに出ると、駅舎からホームまでの構内踏切で、
線路に手押し車の車輪が挟まっているおばあさんがいた。
手伝おうと思って下まで行くと、
「伊万里行はどっちですか?」という。
「こっちですよ。」
「あっち?」
「こっちですってば。」
「どうもありがとうございます。」
といったやりとりが続く。列車に乗り込むのも手伝う。
手押し車は大変だが、背中に背負うのよりはいいのだろうか。
曾祖母ちゃんがいたら訊いてみたいところだ。

 そのおばあさんは2つ先の前浜駅で降りていった。
今度は運転士が降りる手伝いをしていた。乗ったときと同じように
カラカラと手押し車を押しながらホームを歩いていた。
笑うとくしゃくしゃになる顔は前を向いてしっかりとした眼で
話をしてくれた。この人は長生きするだろうなと直感した。

 対馬海峡を見渡す丘の上を走ったり、海辺を走ったりする。
斜面の中腹を行くときは島が多く見える。九州本土と重なって、
半島のように見えるものだってある。玄界の海は青く、遠くまで
逆白波が立っている。水平線にはるか見えているのは壱岐だろうか。

 線路の敷かれている山肌はなだらかなので棚田が続いている。
しかし、北に面した斜面はどこか寒々としている。入江の陰に
集まったわずかな民家も、風を避けようとするのか心なしか低い。
冬の海ならば荒涼とした眺めとなるのだろう。線路際の竹やぶも
ざわざわと揺れていて、ここは九州といえども山陰のつづきなのだ。

 最長片道切符の旅の最後となる路線である佐世保線を前にして
第3セクターに乗ったのは最後のあがきなのかもしれない。
もう少し考えたいことだってある。今日が最後だからである。

 伊万里市に入ったらしく、人家が増える。
焼き物の町として名高い伊万里だが、窯が見えるわけではなく
車窓の印象は雑然とした中規模の臨海工業地帯が続いている。
伊万里湾に沿って造船所、鉄工所、建材工場が続き、
大きな貯木場がある。

 終点の伊万里に着いた。
松浦線としては進行方向が変わるため、
伊万里を直通する列車はない。伊万里駅はかつて松浦線と筑肥線が
同一ホームで乗り換えていたことなど想像もできないような造りの
駅になっていた。

 23分の待ち時間で有田行のワンマンカーがやってきた。
伊万里駅をあとにして有田を目指す。各駅で1人ずつ降りていく。
沿線人口は決して多くないが、その土地に住む人のために走る。
古い駅舎の蔵宿駅、それにホームが自転車置き場代わりの黒川駅、
花咲き乱れる夫婦石駅。車窓は筑肥線に沿った肥前の地味な
丘陵地帯の続きである。

 三代橋を過ぎると佐世保線が近寄ってきて
特急<ハウステンボス・みどり>の併結列車が走っていった。
終点の有田に着く。ここから早岐まで戻り、最長片道切符の旅の
続きをはじめて肥前山口まで行くだけとなった。
その際の停車時間が短いから、この駅を途中下車印の最後の駅に
しようと思った。改札口へと向かった。





最長片道切符の旅・34日目・諫早〜早岐(佐世保)

最長片道切符の旅・34日目・早岐〜肥前山口

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第3セクター松浦鉄道の旅
日本最西端の駅
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