伊万里行のディーゼルカーは1両だったが、ちょうどいいくらいの人数だった。

 山本駅を発車すると、唐津線と寄り添って本牟田部駅を見ながら
築堤を上って唐津線と立体交差する。先ほどの鉄橋が見えたらすぐに
肥前久保駅着。ホームには万寿紗華の花が咲く小さな駅だった。

 相知地区の西側にあたる西相知駅を出ると、佐里、駒鳴に停まる。
“こまなき”と読むが、何と寂しさをかもし出す名の駅かと思う。
水田の中にある待合室だけの小さな駅だった。大川野で西唐津行の普通列車と
すれ違ってから小さな山を越え、肥前長野駅に着く。
山本駅で降りたせいで、途中下車をしたくなった。下車する。
ぼろぼろだが重みを感じる駅舎と水田を彩る万寿紗華に魅かれたからだった。

 駅舎は古びており、ベンチ代わりのソファ、
三輪の自転車が置いてあったりして手入れというより、
別の形で愛用されている感があった。民家の軒先云々とか
言うよりも、民家そのものといったほうが正しい。
生活感にあふれており、物置に近かった。

 カメラのセルフタイマーで遊んでみる。
無人駅で、列車がこないのをいいことに、であるが、線路の上を歩くのは好きだ。
道路と違って前か後ろに気を付ければいいし、橋などは足元が丸見えで
川を渡るというのがどんなにか大変なことかわかる。鉄道と道路は
自然を覆うか覆わないかの違いがあることも、歩くことでよくわかる。

 駅のそばにある水田まで歩いてみる。
万寿紗華が咲き乱れている。彼岸花とも呼ばれる真っ赤な花である。
水田の枠にあたる土盛を強固にするために植えられている花なので
摘んではいけないそうだ。毒性が強く、薬として曾祖母が愛用していたのを
思い出す。近くで見ると、何という咲き方をする花かと思う。燃え上がるような
花びらの形と色をしている。太陽に向かって咲く向日葵とはまったく異なる
生命の強さ・輝きというものを感じる。

 ここまで乗ってきた列車が伊万里で折り返してきたらしく、
山本方面へと発車していった。ほどなくして14時36分、伊万里行普通列車が
到着したので乗り込む。桃川駅では、万寿紗華とは違う花が咲き乱れていた。
コスモスだろうか。

 金石原、上伊万里を出ると切通しの斜面に万寿紗華が並んで咲いていた。
今日は万寿紗華に彩られる日だなと思う。水田が多いからだろうか。
関東や東北ではもちろん、関西でも見なかった花である。

 やがて列車は新しい駅ビルを備えた伊万里駅に14時51分に着いた。
伊万里駅は東ビルが
JR筑肥線、西ビルが第3セクター松浦鉄道のものになっている。
元々は国鉄の1つの駅だったのだが、東西ビルの間に道路が新しく走っており、
完全にまっぷたつに分断されている。
国鉄当時の面影はまったくといっていいほどにない。
哀しさが込み上げてきたが、変貌してしまった焼物の町・伊万里をあとにする。

 唐津行普通列車は元の山本駅に着いた。
ここからは唐津線の線路で、鬼塚に停まったあとに高架橋へ上がって
右から博多方面の筑肥線の線路が近づいてくると、まもなく唐津である。

 この付近の線路の変遷は複雑である。
元々唐津駅は松浦川の右岸にあり、筑肥線は川岸の東唐津駅で折り返す形で
山本駅へ至っていた。松浦川を渡っていたのは2〜3km上流側である。
それが筑肥線電化・福岡市営地下鉄直通を機に唐津駅は、唐津市の中心に
近い松浦川左岸に移るように線路が変更され、東唐津駅も南側に移転。
終点となる駅も左岸に移って西唐津駅となり、高架・電化されたのである。
このとき、山本以北は唐津線として延伸される形となり、時刻表上でも
筑肥線は分断される形となった。乗り継ぐ分にはまったく問題はないが・・・。

 唐津駅から10分接続で西唐津行普通電車に乗る。
地下鉄直通用の通勤型電車がやってきて、4分停車の後に発車する。
右手に唐津上を眺めながら高架橋上を走る。デパートや高層ビルがあるわけ
ではないので眺めはいいが、市街がすっきりして見える。
こんな風景は旅してきて、見ることはなかったから違和感を感じてしまう。

 4分で終点の西唐津駅に着いた。
ホームは1本しかないが、唐津車両運輸センターが隣接しているので
構内は広々としている。駅前は国道で、呼子方面に向かう車が多いらしい。
終着駅の駅舎としては、ローカル線のように小ぢんまりとしていた。

 折り返し筑前前原行普通電車に乗る。
唐津で4分停車し、唐津線の普通列車の接続を受けて発車する。
しばらくコンクリート高架橋の上を走り、唐津線との分岐点に和多田駅があった。
周りに高いビルがないおかげで、これから行く道筋がよくわかり、
その先にはヘッドライトが見えた。そこがどうやら東唐津駅らしく、対向列車が
待っているのであろう。

 川幅が広くなった松浦川を渡るとき、海側に長い松林が見え始める。
全長3km以上の虹ノ松原である。東唐津で西唐津行の普通電車とすれ違うと
虹ノ松原へと下りて唐津市を離れる。

 しかし唐津とはわかりやすい名前である。
唐(中国)との交易で栄えた港があったことは容易にわかる。
江津と同じ感覚でとらえるとわかりやすい。昨今の市町村合併で
南アルプス市だの、福津市だの、四国中央市だの、風情もなくて安直過ぎて
かえってわけのわからない地名が誕生するのには辟易する。

 虹ノ松原、浜崎と松林の中を走り終えると玄界灘に出る。
沖合は玄界島、今日は多少なりとも波が荒れているように思う。
しかし、唐津街道と呼ばれる国道が海との間に入り、邪魔をしている。
鹿家に停車した後、縁起のいい切符として有名になった福吉、大入を過ぎる。
福吉から大入とは図ったように縁起のいいことだ。

 筑前深江、一貴山、加布里、美咲が丘と乗客を集めて、終点・筑前前原に着く。
5分で乗換えとなる。ここまでは福岡市営地下鉄の車両も乗り入れてくる。
筑肥線はこの地下鉄との相互乗り入れが理由で、九州では唯一の直流電化。
乗換えとなる福岡空港行の普通電車もJR九州の直流電車であった。

 17時25分に発車する。
筑前前原〜姪浜間はベッドタウンであり、宅地化が進んでいて線路も
複線化されている。波多江、周船寺に停まり、高架で開業したばかりの
九大学研都市に停車する。大学にしては遠い気がする。筑波のようだ。

 今宿までの間に再び玄界灘が開けて、元寇防塁跡のある今宿海岸が続く。
歴史の舞台である。東日本よりも西日本のほうが歴史としては長いのがわかる。
今宿、下山門に停まれば高架橋に上がって姪浜に着く。
福岡市西区になっていて、ここからは福岡市営地下鉄に入る。

 筑肥線は電化前、博多から分岐する国鉄の路線であったが、
地下鉄の姪浜・博多延伸開業を機に廃線となった。現在の博多駅1番線が
民営化当時非電化だったのは、元々筑肥線のホームだったからである。
いまでも1番線だけは他のホームとは趣が異なる。
現在は九州新幹線乗り入れ準備工事が行なわれており、
その1番線は使用中止となった。筑肥線が乗り入れていたときの名残を
見せてくれるものが消える日もそう遠くはないだろうと思う。

 姪浜を発車した電車は地下にもぐり、
室見、藤崎、西新、唐人町、大濠公園、赤坂、中心街の天神、中洲川端、
祗園の順に停まり、博多に到着。ここで乗客が入れ替わる。
スーツケースや旅行かばんを持った人の波に逆らってホームへと降りた。




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