13時22分発の宇和島行普通列車は4番線に停車中だった。

 乗り込むと運転士がトイレの設備がないことをくりかえし
放送している。「窪川駅発車後、終点の宇和島まで約2時間ほど
トイレ休憩を行なえる時間はございません。途中駅では
乗車完了後すぐに発車いたします。お手洗いは窪川駅にて
あらかじめお済ませください。」とのこと。
そのトイレを済ませてから定刻に発車する。

 窪川以西は土佐くろしお鉄道線に入る。建設当時の背景、
すなわち国鉄末期の地方交通線廃止の沙汰で窪川〜若井の
一駅間は土佐くろしお鉄道なのである。
正確には若井の先の川奥信号場までだが。

 まもなく四万十川が寄り添ってきた。
予土線の母なる川である。実は先程の窪川は上流にあたるが、
海岸までは10kmほどである。土讃線は川の流れに
沿うこともなく上流にまで上りつめていたのであった。
四万十川の河口は中村にあり、土佐くろしお鉄道・中村線が
通っているが、四万十川は蛇行させたら右に出るものは
ないほどに大きく蛇行している。上流の窪川から河口の中村まで
43kmだが、四万十川は150km以上も蛇行しているのである。
全長は196km。信濃川には到底及ばないが、土讃線の距離に
換算すれば阿波池田まで行ってしまう。
川が線路に寄り添えばの話だが、それでは立場が逆。
子である線路が母なる川の手を引こうとも、所詮子どもの力など
たかが知れているのと同じである。母あっての子である。

 話が逸れてしまいそうだ。
話を元に戻すと、四万十川にとっての子は土佐くろしお鉄道
中村線ではなく予土線のほうである。土佐くろしお鉄道は大いに
寄り道する母になど付き合いきれぬとばかりに、川奥信号場から
ループ線で海沿いに下りる。対する予土線は山中に分け入って
四万十川の谷を進む。

 若井駅は小さな駅だった。
周りの風景はたいそうひなびたもので、昔話にも出てきそうな
里である。中国山地を走る芸備線によく似ている。山が険しく
なってきたらスピードが落ちて川奥信号場に停車した。
窪川行きとすれ違って発車する。

 山々には靄がかかっていて、日本というより中国の
山水画のような風景が左右に展開する。トンネルを抜けると再び
四万十川が現れ、母に連れそう子となる。川沿いのローカル線を
旅していると、自分も連れられているような感覚に陥るから
不思議である。岩肌は荒く、山々が急峻な中で列車が1両
だからかもしれない。

 家地川、打井川と停まり、土佐大正に着く。
15人しかいない乗客のうち、5人が降りる。さらに土佐昭和では
3人が下車。小さな駅だ。
四万十川は吉野川と同様に四国山地に谷を刻んでいるが、
支流が多くて水量も豊富なため、谷の深さほどに川幅は狭くない。
吉野川よりも島根を流れる江の川に似ている。四万十川の
予土線と江の川の三江線は開通時期が近いこともあって、
よく似ているらしい。三江線をたどった日も雨だった。
晴れた日なら山紫水明とも言える風景が広がるのだろうが、
こういう山間の谷では雨の日のほうがいいのである。
水墨画のようになる。今日は雨が降っている場所と
降っていない場所とある。谷の両側の山のせいであろう。
どこまでも靄がかかっている。

 十川に着く。山奥の十和村というところにあり、
オートバイで一度来たことがある。国道なのに道幅は
一車線分しかなく、あくせくしながら走った覚えがある。
路上で最も速かったのは、紛れもなく地元の軽トラックだった。

 十和村は茶所でもある。
高知は台風銀座ゆえに雨も多い。傾斜が急な斜面で
栽培されているので手摘みらしい。キオスクに“しまんと緑茶”
として売っていたので買ってみるとなかなかまろやかであった。
十和村の中を走りながら半家という名の駅に着く。
ぼくはハゲではない。まだ禿げてほしくない。
将来どうなるのか不安でもあるが。


9.静かな大杉駅

11.冴えないひとりごと

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