今度は愛媛に向かうのである。
丸亀発12時08分の特急<しおかぜ9号・いしづち13号>
宇和島行に乗る。やってきたのはまたしてもアンパンマン列車。
風情がないとかダダをこねてもしょうがない。

 土讃線が分岐する多度津に着く。
四国の鉄道の町である。九州で言うと鳥栖であろうか。
発車するとスピードを上げ、海岸寺を通過して海に出る。
瀬戸内海である。対岸に島々もあって、穏やかな海だ。
しかし、海が見えるのはわずかな区間だけで、内陸を走る。
路線としては海沿いだが、海まで何kmかある。意外に海岸線は
単調ではない。これは対岸の山陽本線も同様である。
だが建設当時の背景に軍事的な理由、つまり、
軍艦が民間人に見えてはいけないということもあったから
かもしれない。瀬戸内には呉という軍港もあったので当然だろう。

 観音寺に着くと30人ぐらいが下車していった。
ここまでは高松の都市圏であり、車窓には讃岐平野の風景。
民家は尽きることなく続き、ため池も所々にある。主たる河川が
ないのも香川の特徴である。讃岐山脈という山々があるものの、
低くなだらかな上に瀬戸内は雨も少ない。大地に水をもたらす
雨もなければ、水量豊かな河川を形成する山もないのだ。

 四国中央市に入る。
高速道路が十文字に交差する川之江ジャンクションがあるから
こうした市名になっているのだろうが、わかりやすければいい
というものではない。これも自動車の時代が到来したためなのか。
いまどきの地名には由来はあっても風情はない。地域の特色や
歴史を現す漢字が使われていないのである。情報・通信・交通が
発達するとどこにでも簡単に行けるようになり、地域の色が薄れて
画一的になる。そして人々は大都市に集中するようになり、
過疎化は進行。経済格差は広がってさらなる市町村合併を招く。
わかりやすい構図である。大体、瀬戸内にあるのに“四国中央”を
名乗ること自体があつかましいではないか。

 川之江と伊予三島はその市内にある駅。
ともに20人くらいが降りていった。伊予三島から先、民家は減り、
山越えにかかる。エンジンを唸らせて快調に上っていく。

 すると街が見渡せたところで新居浜に着く。
古くはは別子銅山を背景に銅で栄えた町である。
伊予西条にも停まる。やはり旧国名を冠した駅名は響きが違う。
その名はその土地だけのものだ。

 伊予西条を出ると今治に着く。
3つの瀬戸大橋のうちの一つとして開通した“しまなみ街道”は
鉄道にどのような影響を与えているかと思う。元々山陽側との
往来は船であったしそれはいまも同様に思えるがどうだろうか。
船+鉄道で移動する時代と自動車だけで移動できる現在とでは、
旅行スタイルがはるかに異なる。

 今治の次が松山である。
瀬戸内海を見渡せる丘を走りながら、松山の市街地が見えてきた。
松山到着の放送が流れ、後ろ3両の5〜7号車を切り離すという。
ぼくは6号車の<いしづち13号>に乗っていたので1〜4号車の
<しおかぜ9号>の方へ移動せねばならないが、
松山で13分停まる。その間に外に出てみようと思う。

 松山へ着くと向かいの1番ホームにもアンパンマン列車が
停まっていた。「愛と勇気だけが友達さ♪」などと歌っているような
寂しさから、列車にまでも出没するようになったかのかと思う。
次からはアンパンマン列車は避けよう。


14.土佐と日向

16.下灘駅

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四国周遊切符の旅  15.アンパンマン列車再び
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