阿波池田では20人くらいが乗ってきた。

 降りた人たちは向かい側に停車中の特急<剣山10号>
徳島行に乗り換えている。阿波池田を出るとスピードを上げて
佃駅を通過。吉野川に寄り沿う徳島線と分かれる。

 こちらはまもなく左側にカーブして吉野川を鉄橋で渡る。
両側とも急峻な山々。自分がその谷底にいることがよくわかる。
広い河原も渡り終えると急勾配にかかる。さらに大きく左に
カーブして斜面を上り、先ほど渡った鉄橋が見え始める。
さらに高度を上げて箸蔵駅を通過し、吉野川の谷を
一望できるようになった。大きく迂回して谷を上ったので、
阿波池田の町も左前方に見える。これほどスケールの大きな
谷の車窓は、日本でもここだけではないだろうか。
さすがは四国三郎殿だ。

 急勾配を上りながら分岐器と駅が現れた。
スイッチバック式の坪尻駅である。ここのスイッチバックは去年、
“おおぼけトロッコ号”とともに経験済みである。
周りには森と斜面以外何もない、深閑とした駅だった。
今度は普通列車で降りてみたいと思う。
昼は普通列車ですら通過するから、予定の組み方が難だ。

 サミットを越えたらしく、これまで雄叫びを上げていた
エンジンは静かになり、勾配を下りはじめた。
それでも右へ左へ繰り返されるカーブを苦もなく通過するので
迫力がある。オートバイに乗っているときの
ワインディングに近い。あちらはどちらかというとスリルだと
思うけど。鉄道車両のように大きなものが、
遠心力を打ち消すために車体を傾けて
カーブに突っ込むから不思議である。

 警笛が何度も鳴って急ブレーキがかかった。
何事かと思って前を見ると黒い物体が移動していた。
イノシシだ。実物に遭遇したことはもちろんないが、
線路上ではじめて見るイノシシ。
感激してしまう。
衝突することなく、減速するだけで事なきを得た。

 四国山地を貫いて讃岐平野に下りると、琴平に着く。
琴平は金毘羅山の最寄り駅だが、結局行くことはなかった。
何度も着ているので、この先行くことはないのでは・・・と思うが、
行くつもりはある。またの機械にしよう。

 4分で善通寺に着く。
“弘法大師のふるさと・生誕地”と大きな碑があった。
そういえば四国は四国は弘法大師こと空海が各地を旅して
回った土地である。室戸岬にも大きな弘法大師像がある。
ちなみに、なぜ讃岐は“うどん”なのかと言えば、
この弘法大師が中国から讃岐にうどんを持ち帰った
ことが始まりとされている。四国と弘法大師は切っても
切れぬ間柄なのである。

 そんな讃岐うどんの父たる弘法大師であるが、
うどん発祥の地は福岡である。弘法大師が中国から
博多の港に上陸しそこではじめてうどんを伝えたとされている。
福岡県民のぼくとしては、これは声を大にして言いたい。

 善通寺を出ると多度津に停まり、予算線に入る。
線路も複線になってスピードが上がる。
香川県第2の都市・丸亀に停まると大量の乗車があった。
<しまんと>ではなく<南風>を選んで乗ってきたから
岡山に向かう人たちである。

 丸亀は団扇の産地でもある。
日本中の団扇の90%以上が丸亀産という誇り高き名産品だ。
あまり知られていないのが残念だ。

 丸亀を出ると宇多津に停まる。
ここで4分停車し、高松行の<しまんと6号>の
切り離し作業が始まる。手際よく作業は進み、
16時51分に<しまんと6号>は発車していった。
こちらも1分後に発車する。

 本四備讃線こと瀬戸大橋線に入ると、
まるで高速道路に入ったかのようにぐんぐんスピードを上げる。
上に高速道路が覆いかぶさっても元気に海へと足を進める。
西の空は夕焼け小焼けだった。
<サンライズ瀬戸>で朝日とともに四国へ入り、
夕日とともに<南風>に乗って去ろうとしている。
瀬戸大橋を渡り終えて児島を過ぎると
17時27分、岡山駅へと滑り込んだ。

 ここからは山陽新幹線に乗り換えて家路に就く。

 現れたのは0系新幹線だった。



22.南風

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