スーパー北斗を降りて南千歳駅の1番線で待っていると、
17時31分に夕張行単行運転のディーゼルカーがやってきた。
札幌方面、函館・室蘭方面、帯広方面、千歳空港方面の流れが
ぶつかり合う南千歳駅においては、ちっぽけな存在。
光芒失せた夕張線を象徴するかのような列車である。
この列車を待っている人も10人ほどであった。
しかし乗り継ぎ12分とは好接続である。
我ながら今回の北海道乗り潰しはよくできている。
自分を褒めたいと思う。

 定刻の17時32分に南千歳を発車すると、
両脇の線路が苫小牧方面へと分かれていき、
新千歳空港行きの線路は地下に潜る。
夕張行きは石勝線入り、ゆっくりと加速して進路を東にとる。
これから向かう新夕張から夕張までの線路は
時刻表上は石勝線として表記されているが、
元々は夕張線として建設された路線である。
日が暮れそうになってきた。
果たして日没後に未乗路線に乗ることを“乗りつぶす”
というのかは定かではないが、
今日の軸となっているのはこの夕張線である。

 地図で見ると、千歳線の東側、室蘭本線上は
特に線路が複雑に交錯している。
元々は苫小牧から岩見沢へと室蘭本線が伸び、
その途中の追分から夕張線が日高山脈へと伸びていたのであるが、
これを複雑にしたのが石勝線の開業である。
昔はどのように人と物が流れていたのかを考えるには、
やはり追分駅に立ってみるのがよい。
南千歳から10分で追分に到着する。
ここでなんと30分も停車する。
さすがにローカル列車だと思う。
もしかしたら夕張線の栄枯盛衰について
考えてみろということかもしれない。

 恣意的なものはないと思うが、いい機会なので
夕張線について考えてみることにした。
跨線橋の上に立って構内を眺める。
広い。
かつてはここに石炭列車が集結していたのであろう。
真ん中の線路はいまでこそ<スーパーおおぞら>の
通過線となっているが、かつては旅客以外の貨物、
すなわち石炭列車とそれを引く蒸気機関車が
機関車交換のために使っていたであろうことは容易に想像がつく。
駅構内を明々と照らすヤード照明灯も
夜間の機関車・貨車の入換に必要だったからである。
昼間だけではなく夜間も捌かなくてならないほどの石炭が
ここには集まっていたのだ。

 なぜそんなに多くの石炭が集まっていたのかは、
夕張方を見れば一目瞭然。
岩見沢からの室蘭本線と夕張からの夕張線、
2つの石炭輸送ルートが合流していた場所。
1つは石狩平野の石狩炭田、もう1つが夕張炭田である。
合流した2つの石炭輸送ルートは、
苫小牧を経て積出港である製鉄の町・室蘭へと伸びている。
これが室蘭本線建設の背景となっている。
こういった大幹線上の要衝であった追分には
ヤード照明灯の辺りに機関区があり、
多くの蒸気機関車が屯していた。

 全国随一の規模を誇る石炭輸送が行なわれていた追分地区。
最後まで蒸気機関車が走っていたのもこの地域である。
その最後の貨物列車を牽引した蒸気機関車も、
その蒸気機関車たちが屯していた追分機関区の扇形機関庫も
火事で消失してしまった。
追分機関区のあった場所を駅員さんに尋ねると快く教えてくれた。
笑顔であったから、鉄道の町と呼ばれた追分の、
当時の栄光を知る人なのだろうと思う。
その方向を見ていると、室蘭本線・岩見沢行きが発車していった。
ぼくの乗っている夕張行きも18時14分、発車する。

 石勝線をたどる。
今走っているのは新しく敷設された石勝線の線路なのか、
昔からの夕張線の線路なのかはわからない。
東追分、川端、滝ノ上、十三里と続くから、
元々夕張線の線路なのかもしれない。
雪避けのスノーシェッドが真新しいのは気にかかるが・・・。
要するに石炭列車が我が物顔で走る路から
特急街道へと変貌したわけである。
いまはこのような単行列車以外はすべて特急列車という、
幹線だがローカル線にも見える2つの顔が石勝線にはある。
だからうまく解釈するとしたら、特急は石勝線、
普通は夕張線とするのがいいみたいだ。

 30分で新夕張に到着する。
ここは石勝線開業前は紅葉山という名の駅であり、
ホームのあった場所は新夕張駅前のロータリーになって
駅名標だけが残っている。
紅葉山からは登川という場所まで夕張線の支線が分岐していた。
その登川には石勝線の線路が通っていても駅はない。
支線は事実上廃止になったと考えていい。
石勝線は紅葉山から狩勝峠と、追分から南千歳を新しく建設して
札幌〜十勝のバイパスとしたルートである。
追分で十字に線路が交差するのはそれだけの理由であった。

 新夕張からは石勝線と名は付いているものの、
夕張線といって差し支えないだろう。
数年前までは、石勝線の線路からちょこんと離れたところに
“楓”という駅があった。
夕張線・登川支線の唯一の途中駅だった楓駅である。
いまは廃止されてしまったが、
複雑な変革を経ることこの上ない地域だと思う。
新夕張から先は、5kmおきぐらいに駅がある。
石勝線の開業とは無縁の、夕張線の駅である。
最初の駅、沼ノ沢に着いた。
雪に埋もれそうな古い駅舎を照らす電灯が印象的だった。
かろうじて駅名標が読み取れるこの駅で、家族連れが降りていった。

 車内に残ったのは4人。
他の人に何の気兼ねもなく、駅弁を広げる。
ボックスに向かい合うような人でもいたら、
たちまち弁当に視線が集中して、味を感じなくなってしまう。
そういった気兼ねなど要らぬからローカル線は好きだ。
昨今では車窓に背を向けて一列に座るロングシートの車両も
ローカル線に使われ、駅弁を楽しめる機会も減ったように思われる。
効率・輸送力を優先させるのがもちろんそうであろうが、
旅人のための車両ではないのが悲しく思われる。
南千歳駅で買った“北の駅弁”は
カニ、ホタテ、赤貝など海の幸が豊富な駅弁だった。

 夕張線に思いを馳せる。
エネルギー革命によって石炭から石油へと燃料が移ると
衰退の一途をたどり、夕張線は縮小せざるを得ないほどに
沿線住民も労働者も貨物列車も減ってしまった。
その縮小の時期と重なったのが石勝線の開業だった。
単線だが高規格の路線として一部が再出発することになった。
人口希薄のこの地域においてローカル輸送は乏しいが、
幹線のまま石勝線・夕張支線になったのである。




氷雪を蹴って

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夕張支線の旅

栄枯盛衰の炭都
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