最北端の路・宗谷本線 A

 7時40分、幌延に到着。
抜海、勇知、兜沼、徳満、豊富、下沼、南下沼と停まってきて、
久しぶりの駅員配置駅である。
このような駅に勤務する駅員はさぞ雪かきに終われる日の
多いことと思われる。
吹雪の中を走ってきた名寄行き4326Dは、
前面に雪をびっしりと付けたまま4分間停車する。
降りる人はいなかったが、久しぶりの乗車があった。

 幌延からは遠く留萌までの羽幌線がかつては
分岐していたが、その線路跡も雪に埋もれて定かではない。
幌延からは進路を内陸にとる。
雪は深くなる一方だ。

 天塩中川で乗客が少し入れ替わると、天塩川に沿って
走る。佐久では、保線区の人たちが6人乗り込んできた。
雪かき、除雪をするらしい。
宗谷本線を守っているのはこの人たちだ。
運転士や駅員もそうだが、列車が定時で走るのも、
ぼくが旅を続けられるのも、すべてこの人たちのおかげである。
感謝しなくてはならない。

 佐久で乗り込んできた保線区の人たちは、
駅でもないところで降りていった。
除雪車でも雪が除去できないところがあるようだ。
辺りに建物はなかった。おそらく
宗谷本線で最も地形が険しく、最も雪が多いところだろう。
8時58分、稚内から2時間で音威子府駅に到着。
途中下車する。

 オトイネップ。
なんという響きだろう。
アイヌ語で“川の汚れるところ”という意味らしい。
アイヌの言葉はときに旅情をかきたてる
すばらしい地名を与えてくれる。
これが北海道だけの旅の味わいだと思う。

 時刻表に読みふけっていた小学生の頃、
全国版・時刻表の最後のページは、
いまのように石北本線・釧網本線ではなく、宗谷本線であった。
九州は真ん中辺りだったから、
どんなに遠い線路なのだろうと思っていた。

 その宗谷本線の中に、この駅名を見つけ、
どんな駅かとずっと想像を膨らませていた。
そしてこの音威子府駅から分岐していたのがオホーツク海岸を
通って南稚内に至る天北線だった。
平成元年に廃線となったが、最も乗ってみたい路線だった。
その名前に惹かれてやっとここまで来たが、
面影は天北線資料館にのみあった。
天北線で浜頓別まで行き、
クッチャロ湖でぼんやりたたずんでから南稚内に行ったり、
興浜北線で北見枝幸、興浜南線で興部、名寄本線で湧別、
湧網線で網走に行けたら
どれだけ北海道を満喫できたことかと思う。
線路図だけで日本地図が出来上がる時代をうらやましく思う。

 高速化や所要時間の短縮によって失われたものは多くある。
長旅の途中駅、停車時間を利用して息抜きをすることから
得られたものがある。
その1つに駅そばがある。いろんな本で知っていたことなのだが
この音威子府駅の駅そばはうまいらしい。
写真を見ただけで旅心からそう感じた。

 だから一度食べて見たいと思っていた。
昨日のスーパー宗谷に乗っていたのでは食べることは不可能。
どうにかして日程を組めないかと思案した結果、
特急<利尻>に連泊することを決めたのであった。

 駅そばが店を開けたのは9時20分。
特急<スーパー宗谷2号>の乗客に合わせているらしい。
「九州から来たの?」と笑顔でそばを作ってくれた
おばちゃんに「また必ず来るよ」と礼を言って改札を抜ける。
駅そばのカウンターに並んでいたおにぎりも買う。
手作りだ。
どう見てもそうとしか思えない。
腹を空かしておいたかいがあった。
温かい駅だ。
寒い土地ゆえに身に染みる駅だった。
次に来るときは、おそらく最長片道切符の旅の途中だと思う。

 スーパー宗谷2号に乗る。
昨日と同じだが、グリーン車はホームからはみ出ていた。
まさか余計に歩かされるとは。

 今日この先、列車の乗換え時間はすべて10分以内。
昼食を選んでいる時間はなさそうだから車内で
買うほかにない、と思って買った先程の音威子府駅のおにぎり。
しっかりにぎってある。
稚内駅の駅そば屋に置いてあったおにぎりもそうだった。
コンビニで売ってるもののような海苔のパリパリ感はないが、
温かくて塩加減がちょうどいい。
特急の車内で売っている駅弁よりも、
宗谷本線は駅そばと手作りのおにぎりを堪能するべき路線だと、
そう感じた。
これが最北旅情である。



最北端の路

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音威子府駅
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